有田市(読み)アリダシ

デジタル大辞泉 「有田市」の意味・読み・例文・類語

ありだ‐し【有田市】

有田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「有田市」の解説

有田市
ありだし

面積:三六・五二平方キロ

有田川の河口両岸に位置する。河口とはいっても、北岸は長峰ながみね山脈が紀伊水道に突出してノ島・おきノ島に連なり(ともに市内)、南岸にはなかの山脈または雲ひばり山脈と通称される山地があって沖積平野が形成される余地に乏しく、平地は有田川両岸の氾濫原や旧河川敷がある程度である。ただし山麓地は蜜柑畑として広く利用されている。北は東北隅で通称「おつじょう」とよばれる五〇三メートル高地から明神みようじん(三五九・三メートル)に至る稜線などで海草郡下津しもつ町に接し、東は有田川北岸は「おつじょう」から岩室いわむろ(二七四メートル)、南岸東南隅は雲雀山(二〇八・二メートル)で有田郡吉備きび町、南は雲雀山から平見ひらみ(二四八・一メートル)を経由する稜線で同郡湯浅ゆあさ町と接する。

古代の熊野参詣路は宮原みやはらはたから有田川を越えて糸我いとがへ市域東部を横断し、現在も国鉄紀勢本線および国道四二号が市域の西北部から東南部に縦貫する陸上交通の要地、また海上交通の要地にもあたる。地質・植生などの自然条件も紀北・紀南の要素を併せもつ漸移地帯にあり、歴史的にも両要素をもつ社会を形成してきたといえる。

市名は有田郡(明治以前は多く在田郡)の郡名に由来する。「和名抄」(東急本)須佐すさ郷・英多あた郷が市域内に比定される。「延喜式」神名帳に「在田アリタノ郡一座須佐スサノ神社名神大、月次新嘗」と記される須佐神社千田ちだにあり、須佐郷をその付近と比定することに問題はない。しかし英多郷の訓は「和名抄」に記載なく、「安諦郡之荒田村」(「日本霊異記」下巻)、安太・足代(「万葉集」巻七)などとの異同が古来問題とされている。音の近さからすれば、以上はいずれも同じ地域をさし、後の宮原庄辺りをさすのではなかろうか。

〔原始〕

縄文時代中期から晩期の土器が、地ノ島遺跡で発見されている。中期初頭には鷹島式土器が出土し、県下各地出土土器と共通性をもつばかりでなく、岡山県から静岡県にわたって関連する土器が発見されており、地ノ島がこの時代から海上交通の要地を占めていたらしいことが注目される。弥生時代に入ると、土器は山地津井浜やまちついのはま・千田奥の谷おくのたに糸我崖いとががけ・糸我地蔵堂じぞうどう・宮原奥の谷などの各遺跡から出土する。有田郡清水しみず町や同郡金屋かなや町の有田川上流部では縄文時代の遺跡が多数あるにもかかわらず、弥生時代に入って遺跡が激減するのと顕著な相違をみせる。農業生産の開始に伴って、水田適地を求めて人々の移動があったことを示すものであろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「有田市」の意味・わかりやすい解説

有田〔市〕
ありだ

和歌山県北西部,有田川下流域の市。紀伊水道に臨む。 1954年箕島町と保田村,宮原村,糸我村が合体して有田町となり,1956年市制。 1962年に初島町を編入。古くから有田みかんの特産地として知られ,有田川河口の港でもある中心市街地の箕島は,ミカン積出港として繁栄。現在もミカンの生産量は県内有数で,周辺の山地斜面はほとんどミカン園。有田川流域を商圏とする商業中心地でもあり,蚊取り線香の生産は伝統工業。殺虫剤や農薬の生産も行なわれる。北西部の初島には石油精製工場があり,海南市から続く石油化学工業地域を形成。漁業も行なわれ,河口左岸の辰ヶ浜は打瀬網漁業の根拠地。広利寺,浄妙寺,須佐神社など古社寺が多い。明恵紀州遺跡卒都婆は国の史跡に指定されている。海岸線一帯は西有田県立自然公園に属し,JR紀勢本線,国道 42号線,480号線が通じる。面積 36.83km2。人口 2万6538(2020)。

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