日本歴史地名大系 「紀州信貴伝法院」の解説 紀州信貴伝法院きしゆうしぎでんぽういん 和歌山県:和歌山市河南地区明王寺村紀州信貴伝法院[現在地名]和歌山市明王寺伊太曾(いたきそ)神社の北方に位置する。近くを矢田(やた)峠越の旧熊野街道が通る。新義真言宗、山号は矢田山、空海作と伝える千手観音像を本尊とする。古くは明王(みようおう)寺と号した。建久二年(一一九一)二月日の伴盛家陳状案(仁和寺記録)にみえる「明王寺」は当寺のことと考えられる。長承元年(一一三二)平光昌の寄進により、山東(さんどう)荘が覚鑁の建立した高野山大伝法(だいでんぼう)院の所領となったが(同年一〇月三〇日「鳥羽上皇院庁牒案」根来要書)、「続風土記」によると、このとき覚鑁が荘内に明王寺を建立したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by