日本歴史地名大系 「明王寺村」の解説 明王寺村みようおうじむら 和歌山県:和歌山市河南地区明王寺村[現在地名]和歌山市明王寺名草(なくさ)郡に属し、城(じよう)ヶ峯の南西、矢田(やた)峠の南東にあり、南西は塩谷(しおのたに)村、南東は矢田村。小名に新田(しんでん)がある。村内を中世以来の熊野街道(小栗街道)が通る。長承元年(一一三二)一一月一六日付山東庄立券文案(根来要書)に記された四至のうちに「限北神山楚(ママ)下并和佐峯」とある「和佐峯」は矢田峠のことと考えられ、当地は山東(さんどう)庄に含まれた。 明王寺村みようじむら 和歌山県:有田郡吉備町明王寺村[現在地名]吉備町明王寺有田川の南岸、雲雀(ひばり)山の東の山裾に位置し、東は天満(てんま)村。地名は村内に昔、明王寺という寺があったことによるという(続風土記)。慶長検地高目録によれば村高一四七石余、小物成一石一合。慶長六年(一六〇一)の明王寺村御検地帳写(吉備町役場文書)では家数九、うち後家一軒。藤並組に属し、「続風土記」は家数三八、人数一四四、社寺として小祠三(妙見社・弁財天社など)、不動堂・地蔵堂をあげる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報