納村千代(読み)オサムラ チヨ

20世紀日本人名事典 「納村千代」の解説

納村 千代
オサムラ チヨ

大正・昭和期の助産婦 福井県保険助産婦看護婦協会会長。



生年
明治20(1887)年11月10日

没年
昭和39(1964)年1月16日

出生地
福井県南条郡武生町(現・武生市)

学歴〔年〕
日本赤十字社福井支部救護員養成所〔明治40年〕卒,東京帝国大学病院付属産婆科

経歴
明治42年に内務省の産婆試験に合格。次いで福井県から派遣されて東京帝国大学病院付属産婆科に学ぶ。のち帰郷し、福井県芦原の自宅に助産婦を開業。以来、因習の根強く残る地域において、近代的かつ衛生的で安全な出産法の普及に努めた。また、母体を保護するために労働軽減の指導を行い、赤ちゃんコンテストを通じて乳児の体格向上をはかるなど、母子の健康改善にも尽力。昭和23年福井県保険助産婦看護婦協会の設立に参画し、25年には同会長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「納村千代」の解説

納村千代 おさむら-ちよ

1887-1964 大正-昭和時代の助産婦。
明治20年11月10日生まれ。40年日赤福井支部救護員養成所を卒業。東京帝大付属病院産婆科にまなび,福井県芦原町で開業。衛生的で安全な出産法をひろめる。昭和23年県保健婦助産婦看護婦協会を創立,2代会長となった。昭和39年1月16日死去。76歳。福井県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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