日本大百科全書(ニッポニカ) 「紫電改」の意味・わかりやすい解説
紫電改
しでんかい
日本海軍で実用された最後の戦闘機。川西航空機(現在の新明和工業)が製作した紫電の改良型で、正式には紫電二一型というが、紫電改という通称のほうが広く知られている。もとの紫電は陸上基地用の迎撃機(海軍は局地戦闘機とよんだ)として1942年(昭和17)12月に初飛行し、1007機生産されたが、それを全面的に改設計して性能と実働率の向上を図った紫電改は1944年1月に初飛行。アメリカ戦闘機に十分対抗しうる優秀機として期待を集め、重点生産機に選ばれたが、わずかに約400機が完成しただけで終戦を迎えた。しかし、部隊に送られた紫電改は、時速600キロメートルの最大速度と優れた空戦性能を発揮して本土防空によく戦い、最後を飾った。
[藤田勝啓]