経堂在家村(読み)きようどうざいけむら

日本歴史地名大系 「経堂在家村」の解説

経堂在家村
きようどうざいけむら

[現在地名]世田谷区経堂一―五丁目・宮坂みやさか一丁目・桜丘さくらがおか二丁目・船橋ふなばし三丁目・同五丁目

東・南・北を世田谷村に接し、西は多摩郡船橋村。荏原えばら郡に属する。地形は平坦で、烏山からすやま用水が中央を東へ流れる。経堂は京堂とも記し、村が開かれた頃、関東には見慣れない京都の堂に似たものがあったことによるという説と、経典石室に納めて土に埋め、その上に小堂を築いたことによるという説がある。中央部にある小字石仏耕地いしぼとけこうちでは土中よりまれに石室などに用いたと思われる石が出ることがあり、経を埋めたのはこの地域という伝承がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む