日本歴史地名大系 「経堂在家村」の解説 経堂在家村きようどうざいけむら 東京都:世田谷区経堂在家村[現在地名]世田谷区経堂一―五丁目・宮坂(みやさか)一丁目・桜丘(さくらがおか)二丁目・船橋(ふなばし)三丁目・同五丁目東・南・北を世田谷村に接し、西は多摩郡船橋村。荏原(えばら)郡に属する。地形は平坦で、烏山(からすやま)用水が中央を東へ流れる。経堂は京堂とも記し、村が開かれた頃、関東には見慣れない京都の堂に似たものがあったことによるという説と、経典を石室に納めて土に埋め、その上に小堂を築いたことによるという説がある。中央部にある小字石仏耕地(いしぼとけこうち)では土中よりまれに石室などに用いたと思われる石が出ることがあり、経を埋めたのはこの地域という伝承がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by