日本歴史地名大系 「経塚中世墓群」の解説 経塚中世墓群きようづかちゆうせいぼぐん 三重県:員弁郡大安町石榑下村経塚中世墓群[現在地名]大安町石榑下 経塚大安町役場の北西、一・二キロ、藤原(ふじわら)町と四日市市を結ぶ広域農道(ミルク道路)が源太(げんた)川を渡り丘陵に取掛る部分に所在した。道路が建設される前は東に向かって延びる丘陵で、標高八八メートル、すぐ下の水田との比高は一五メートルであった。昭和四八年(一九七三)四月より七月にかけて事前の発掘調査を実施した。頂部には径一〇メートル、高さ一・五メートルの塚が一基あり、東面する斜面の各所に礫が散在していた。この塚は地元の人々により「石榑下経塚」と呼称されていたものである。調査の結果、塚はすでに盗掘されていたが、周溝や封土中より常滑の甕・渥美の鉢などの破片が出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by