結城晴朝屋敷跡(読み)ゆうきはるともやしきあと

日本歴史地名大系 「結城晴朝屋敷跡」の解説

結城晴朝屋敷跡
ゆうきはるともやしきあと

[現在地名]清水町片粕

片粕かたかす北西部の丘陵末端にある。慶長六年(一六〇一)結城秀康の越前入国とともに養父晴朝も随行し、北庄きたのしよう(跡地は現福井市)完成まで当地に居館した。「国事叢記」は「伝曰、晴朝君、暫丹生郡片粕村自北庄二里許、一町四方所御殿御入于今御館跡有之。山中に二ツ塚共云、御墓有り」と記す。

明和二年(一七六五)八月の片粕村明細帳(片粕区有文書)に「結城晴朝公之御城蹟御座候得共、只今は百姓家御年貢地にて御座候、字村前 水除堤壱ケ所、長弐百七拾八間、字村後 同壱ケ所、長八百八拾間、右弐ケ所共慶長九辰年、結城晴朝公御代御普請被成下、夫より以後は毎御入用にて御普請(下略)」とあり、館を日野川・志津しづ川の水禍から守るため堤防が築造されたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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