結縁寺村(読み)けちえんじむら

日本歴史地名大系 「結縁寺村」の解説

結縁寺村
けちえんじむら

[現在地名]掛川市結縁寺

小笠おがさ山の北麓に位置し、北東上張あげはり村。旧名いちさわ村ともいい、その名の由来となった沢は結縁寺渓ともよばれる(掛川誌稿)。「遠淡海地志」は小笠山境の結縁寺沢を「甚だ難所」と記す。天正一七年(一五八九)七月七日、「結縁寺」に徳川家七ヵ条定書(長谷川文書)が下されている。文禄二年検地高目録に「結縁寺」とみえ、高七四石余。元和五年(一六一九)以降は掛川藩領。正保郷帳では結円寺村とみえ、田方七一石余・畑方七石余、ほかに結円寺領一石余がある。旧高旧領取調帳では掛川藩領九〇石余、結縁寺(現曹洞宗)除地一石余。文政一二年(一八二九)の御高等書留によると御林、溜池三ヵ所、猟師鉄砲一があり、高九〇石余(うち新田一一石余)、毛付高六七石余の納辻米一〇九俵余、家数二一は本家、人数九八、馬四。


結縁寺村
けつえんじむら

[現在地名]印西市結縁寺・高花たかはな

多々羅田たたらだ村の南東に位置。慶長七年(一六〇二)七月の検地帳(飯岡家文書)は一部欠損があるが、反別一〇町二反余、永不作七町四反余。名請人一二、屋敷七筆のうち明屋敷三筆。寛文期(一六六一―七三)からの開発で開かれた惣深そうふけ野に切添新田(幕府領)があり、延宝四年(一六七六)下畑一八町余・九〇石余などが割渡されている(印西町史・印旛郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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