絹屋五丁目(読み)きぬやごちようめ

日本歴史地名大系 「絹屋五丁目」の解説

絹屋五丁目
きぬやごちようめ

[現在地名]堺市少林寺しようりんじひがし三丁

南大工みなみだいく二丁目の東にあり、大道の東五筋目の絹屋町きぬやちよう筋を挟む両側町で、北の絹屋四丁目に続いて同業者町を形成。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「絹屋五町目」とあり、東頬一八筆・西頬一五筆のうち絹屋を名乗る者六、糸屋を名乗る者三で、町会所は東頬の南から六筆目にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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