日本歴史地名大系 「綱取堰」の解説 綱取堰つなとりぜき 福島県:耶麻郡北塩原村漆村綱取堰土合の関屋(どあいのせきや)橋(古くは土合橋と称した)付近で大塩(おおしお)川から取入れる堰で,取入口から約五〇〇メートル下流の勝幸原(かつこうばら)で上堰(漆堰)と下堰(下勝堰)とに分流する。上・下両堰ともにその後三(さん)ノ森(もり)川・渋(しぶ)川・姥堂(うばどう)川などに落水、再取水を繰返して流れ(あるいはサイフォンによって交差する)、その間多くの支堰を分けた。江戸時代には上堰の水下には漆(うるし)村ほか下吉(しもよし)、京出(きようで)・大分(おおわけ)・松島(まつしま)新田・上高額(かみたかひたい)(現喜多方市)などの村々があり、下堰では中里(なかざと)・東中明(ひがしなかみよう)・上勝(かみすぐれ)・西中明・下勝(現喜多方市)の村々を潤した。上堰の開削年代は不詳であるが、下堰は寛永一五年(一六三八)に加藤明成の奉行堤佐太夫によって開かれた(耶麻郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by