漆村(読み)うるしむら

日本歴史地名大系 「漆村」の解説

漆村
うるしむら

[現在地名]北塩原村北山きたやま

下吉しもよし村の東に位置し、南は熊倉くまぐら(現喜多方市)、東は関屋せきや村。本村の南西谷地やち、東に土合どあい(戸合・戸相)の各端村がある。小沼組(古くは大塩組)に属した。さんもり川が本村北部を、大塩おおしお川が土合の東側をそれぞれ南西流する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」は谷地・戸合に加えて端村「上吉」をあげるが、「上吉」は文化年中(一八〇四―一八)には廃村となっていた(新編会津風土記)。なお現在、本村集落の北約五〇〇メートルに北吉村きたよしむらの字が残る。関屋村檜原ひばら峠越米沢街道から分れ西へ向かう道が通る。同道は山三郷やまさんごう通との通称があり、土合を経て本村に入り、同所で鉤形に折れて再び西に向かい小田付おだづき村・小荒井こあらい(現喜多方市)方面へ通じた。本村の民家は鉤形に折れた同通の南北筋、および同筋半ばから東へ延びる漆薬師堂への参道の両側に立並んでおり(明治初年「村絵図」岩本家蔵)、当地が山三郷通の要衝として、また漆薬師の門前として発展してきたことをうかがわせる。

本村の四方には各一基ずつ石仏いしぼとけと通称される碑石が残されている。表面はいずれも磨滅していて蓮華座や種子の跡がたどれる程度であるが、「新編会津風土記」によると、四基のうち最大の南碑(高さ二三一センチ、幅九八センチ、厚さ二〇センチ)には応永二年(一三九五)の年紀と「一念弥陀仏即滅無量」の文字が判読できたという。明応九年(一五〇〇)一月、蘆名盛高に追われた松本対馬は弟の居城である当地の綱取つなとり城へ逃込んだ。

漆村
うるしむら

[現在地名]蒲生町漆

南流する後郷うしろごう川の最上流域に位置し、南は米丸よねまる村。寛政一二年(一八〇〇)書写の諸郷村附並浦附(県立図書館蔵)には漆田うるしだ村と記される。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)によると、帖佐西ちようささい郷の万得まんとく領七五町半のうちに「漆畠二丁六反加宮吉定二尺二寸 美濃阿闍梨」とみえるが、漆畠は当地にかかわるものであろうか。山本日記(旧記雑録)弘治二年(一五五六)一〇月二〇日条に「松坂の人数うるしといふ所を破らんかために、人衆千計出られ候」とあり、島津義弘答院氏の拠点である当地を攻めたが、その際に付近の村々がことごとく放火されている。

漆村
うるしむら

[現在地名]小松市漆町

かけはし川中流左岸にあり、東は佐々木ささき村、北は金屋かなや村、西は白江しらえ村。かつて漆の木が多く、越中国から漆掻業者が多く入込んでいたための村名という(小松市史)正保郷帳では高二六六石余、田方一四町五反余・畑方一町一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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