綿神社(読み)わたじんじや

日本歴史地名大系 「綿神社」の解説

綿神社
わたじんじや

[現在地名]北区元志賀町二丁目

祭神神功皇后・応神天皇・玉依比売命。旧郷社。「寛文覚書」以後「徇行記」までは、当社を八幡宮または八幡祠とする。「尾張国地名考」は「〔延喜式〕山田の郡綿神社 〔本国帳〕従三位和田天神 〔或人曰〕西志賀村八幡宮の地なり」と一考を示し、「尾張志」は「綿神社 西志賀村にありて、今八幡社と申す」とする。

「延喜式」の綿神社を西志賀にししが村の八幡社にあてた理由は、寛政四年(一七九二)にこの神社の西から貝塚が発見されたため、昔はここまで入海であったとし、わた(綿)神社をあてたものである。旧神主の森家文書によると、文化五年(一八〇八)から私的には「綿神社神主」を使っており、公文書には文政四年(一八二一)に至っても「八幡社神主」と署している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む