日本歴史地名大系 「山田郡」の解説
山田郡
やまだぐん
- 香川県:讃岐国
- 山田郡
讃岐国の中央部よりやや東に位置し、東は
〔古代〕
「日本書紀」天智天皇六年(六六七)一一月条によれば、同月「讃
「法曹類林」によれば承平二年(九三二)頃、当郡には国目代が置かれており、少領の讃岐氏がその任についていた。これは郡司が国衙官人に任用されたものであろう。「延喜式」兵部省にみえる南海道の
山田郡
やまだぐん
〔原始―中世〕
縄文時代の遺跡は旧郡内の山間丘陵地に広く分布し、大間々町域内には
山田郡
やまだぐん
- 愛知県:尾張国
- 山田郡
古代・中世の尾張に設けられた郡。尾張の東北部に位置し、北を
「日本書紀」天武天皇五年九月二一日条に「忌斎忌此云踰既則尾張国山田郡」とみえているが、郡名表示として使用されたより確実な初見史料は、天平二年(七三〇)一二月の尾張国正税帳(正倉院文書)の
である。平城宮出土木簡に、尾張国と推定される「山田郡」の記載のあるものが発見されている。また無年号ではあるが、正倉院宝物銘文に、尾張国八郡のうちに「山田郡」の記載をみる。「延喜式」「和名抄」ともに「山田」「山田郡」をあげる。
山田郡
やまだぐん
山田郡
やまだぐん
- 千葉県:上総国
- 山田郡
「和名抄」に記載される市原郡山田郷の郷名を継承しており、同郷がいわば中世的郡として再編されたのであろう。弘安期(一二七八―八八)頃の相模国早河庄内風祭郷訴論人系図(金子文書)に上総国山田郡本上村地頭職とみえ、同村は風祭三郎入道西妙の所領であったが、当時金子康広と長門三郎入道道教が争っていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報