日本大百科全書(ニッポニカ) 「総社二子山古墳」の意味・わかりやすい解説
総社二子山古墳
そうじゃふたごやまこふん
群馬県前橋市総社町にある7世紀初頭の前方後円墳。榛名(はるな)山南東裾野(すその)の末端平野の一角にあり、王山、遠見(とおみ)山、二子山(以上前方後円墳)、愛宕(あたご)山(円墳か?)、宝塔(ほうとう)山(方墳)、蛇穴(じゃけつ)山(方墳)という変遷をたどる総社古墳群を構成する一基である。前方部は西面し、全長89.9メートル、前方部幅61メートル、後円部径44メートルで、高さは前方部8メートル、後円部7.5メートル。墳丘は二段築成で、葺石(ふきいし)を葺き、埴輪(はにわ)類を配していたと推定される。後円部、前方部にそれぞれ横穴式石室があり、後円部石室は角閃(かくせん)石安山岩の加工石材を積み上げた壁体の両袖(りょうそで)型プランで玄室長6.88メートル。前方部石室は自然石乱石積みの両袖型プランで全長8.7メートルである。副葬品は前方部石室に大刀(たち)、玉類、須恵器(すえき)類などがあった。1927年(昭和2)国の史跡に指定された。
[梅澤重昭]