日本歴史地名大系 「緑埜村」の解説 緑埜村みどのむら 群馬県:藤岡市緑埜村[現在地名]藤岡市緑埜鮎(あゆ)川が東境を北流し、南は西平井(にしひらい)村、北は白石(しろいし)村、西は多胡(たご)郡黒熊(くろくま)村(現多野郡吉井町)と接する。東部を古鎌倉街道が通る。永禄一三年(一五七〇)三月二八日の武田信玄書状(「古今消息集」所収)によると、「緑野郷」は小幡三河守の知行地であったが、信玄は弟の信綱に与えている。寛永二年(一六二五)当村六一四石余が倉橋内匠に与えられる(記録御用所本古文書)。寛文郷帳では旗本倉橋領、田方四一九石七斗・畑方一九四石六斗。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by