縄文農耕論

山川 日本史小辞典 改訂新版 「縄文農耕論」の解説

縄文農耕論
じょうもんのうこうろん

縄文時代の基本的な生業採集・狩猟であるが,中期の中部地方では打製石斧・石皿・磨石(すりいし)などの植物質食料の採集・調理用具が発達し,蒸器としての機能が考えられる深鉢が多用されることなどから,原始的な焼畑陸耕が行われていたという縄文農耕論が提唱された。一方,晩期の九州でも水稲以前の雑穀類の焼畑農耕が行われていたとする説が提唱された。植物学・民族学の分野からは,ヒマラヤ山麓から中国西南部をへて,西南日本に至る照葉(しょうよう)樹林帯に共通の文化要素が指摘され,この照葉樹林文化の発展段階としてプレ農耕段階・焼畑農耕段階・水田稲作農耕段階が設定され,日本の農耕文化起源と発展の問題に一石を投じた。縄文時代の遺跡からはエゴマ・ヒョウタン・リョクトウ・シソ・ソバ・オオアサなどの栽培植物が検出されるので,前期以降になんらかの形で植物栽培が,またクリ・クルミなどの有用植物はある程度の管理が行われるなど,原初的な農耕の存在が考えられる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む