ソバ(その他表記)buckwheat
Fagopyrum esculentum Moench

改訂新版 世界大百科事典 「ソバ」の意味・わかりやすい解説

ソバ (蕎麦)
buckwheat
Fagopyrum esculentum Moench

タデ科の一年草で,種子は“そば”の原料として重要な作物である。草丈約60~130cm。三角に近い心臓形の葉を互生し,葉柄基部に茎を取り囲む鞘(さや)状の托葉をもつ。茎は片側にくぼみをもつ円筒形で,髄は中空。茎の先端数節に,総状花序で多数の花をつける。花は直径約6mm,花弁のように見える5枚の白または紅色の萼片と,8~9本のおしべ,1本のめしべからなる。めしべの基部にはみつ腺があり,芳香を放って虫を誘う虫媒花である。同一品種内にめしべの花柱が長くおしべが短い長花柱の花をもつ個体と,その逆の短花柱の花をもつ個体がほぼ同率に混在する。自家不稔性で,稔実には長花柱花と短花柱花とが交雑する必要がある。子実は瘦果(そうか)で,3稜のある三角錐形で,黒褐色あるいは銀灰色,長さ約6mm,幅約4mm,厚さ3~4mm,千粒重は16~35gである。やや硬い果皮(そば殻)の中に,薄い種皮に包まれた胚乳と胚があり,胚乳にはデンプンが多く包まれる。

 原産地は,東アジアの温帯北部,バイカル湖付近から中国東北地方に至る冷涼地域といわれる。中国へは唐代に北域から伝わった。インドへは,8世紀ころに中国から伝わったと推定される。ヨーロッパへの伝播(でんぱ)は比較的新しく,13~14世紀ころという。

 日本では,明治末年ころまでは15万~17万haの作付けで,約13万tの生産があったが,年々減少し,1970年以降は農林統計からはずされた。県別では北海道が全国の約4割を生産し,ほかに鹿児島,茨城,福島などに今日なおまとまった栽培が残っている。世界総生産量は従来平均約100万tで,そのうち大部分は旧ソ連で生産され,旧ソ連での生産変動が世界生産量を左右している。旧ソ連以外では,ポーランド,カナダ,日本がおもな生産国である。

 ソバは冷涼な気候に適し,生育期間が2~3ヵ月と短いため,高地や高緯度地帯でもよく生育し,また気象災害などで他作物が被害を受けたとき,応急的に作付けされる救荒作物としての利用価値も高い。品種分化は十分進んでいないが,作期に対応して夏ソバ,秋ソバあるいは両者の中間型などに分けられ,いろいろな作付体系の中に組み入れられる。ただし霜には弱い。土壌は重粘土以外はさしつかえない。肥料は元肥を主体とし,少肥でよく生育する。夏ソバは,晩霜のおそれがなくなれば早くまく。秋ソバは,初霜の日から逆算し,寒冷地では70~80日前,暖地では80~90日前を播種(はしゆ)適期の限界とする。除草を兼ねて中耕を2~3回行い,とくに倒伏防止のため土寄せが必要である。全体の70~80%が成熟したころ,落粒を防ぐため早朝や曇天のときに根際から刈り取る。

 ソバの種子はコムギよりもタンパク質がやや多く,アミノ酸構成も良質で,栄養価が高い。製粉してそば粉にする。日本での主用途はそば用で,ほかにそば粉菓子,そばがきなどに用いる。主食用にはそのほかに,半ゆでにして殻を除去したそば米がある。ほかに焼酎,ビールやウォッカの醸造にも用いる。日本では輸入が年々増加傾向にある。そば殻はまくら用にする。茎葉は緑肥や青刈飼料とする。またソバはみつ源植物としても重要である。

 栽培種は本種のほかに,耐冷性のダッタンソバF.tataricum Gaertn.(ニガソバともいう),多年生のシャクチリソバF.cymosum Meisn.(シュッコンソバともいう)などがあるが,日本では作物としては栽培されていない。
執筆者:

日本で古くソバを曾波牟岐(そばむぎ),久呂無木(くろむぎ)と呼んだのは,ソバの実が稜角で果皮が黒褐色のためである。5世紀半ばころすでにソバが存在していた事実は,長野県野尻湖底から採集した試料の花粉分析で明らかになった。文献では《続日本紀》の養老6年(722)7月19日の詔が最も古く,奈良時代に救荒作物として栽培されていたことがわかる。現在はそばといえば,細長い線状のそば切りを指すが,そば切りが考案されるまでの食べ方は,脱穀したソバの実(そば米)を雑穀類と混ぜて食べる粒食や,そばがき,そば餅などの粉食が行われた。そば切りの登場時期は明らかでないが,近江多賀大社の社僧であった慈性(じしよう)の《慈性日記》慶長19年(1614)2月3日のくだりには,江戸の常明寺でそば切りのちそうにあずかったことが記されており,格別珍しがっていないようすからみると,慶長年間(1596-1615)には普及していたとも考えられる。発祥地については,森川許六(きよりく)編の俳文集《風俗文選》所収の〈蕎麦切ノ頌(しよう)〉には,〈蕎麦切といっぱ,もと信濃国本山(もとやま)宿(現,長野県塩尻市)より出て,普(あまね)く国々にもてはやされける〉とあり,天野信景(さだかげ)の《塩尻》は甲州天目山の棲雲(せいうん)寺から始まったとするが,もとより伝聞,巷説の域を出ない。1645年(正保2)刊《毛吹草》の諸国名物のうち,武蔵と信濃には〈蕎切(そばきり)〉があげられ,信濃には〈当国より始ると云〉と注してあるが,時期が明確でなく,そば切りの発祥地だとは断定しがたい。

 江戸初期におけるそば切りの製法は,《料理物語》(1643)によると,〈飯のとり湯にてこね候て吉(よし)。又はぬる湯にても,又豆腐をすり水にてこね申す事もあり〉とあり,つなぎに割粉(わりこ)(小麦粉)を使うことにはまったく触れていない。さらに1689年(元禄2)版の《合類日用料理抄》にも割粉を用いるとは書かれていない。その理由は,つなぎに小麦粉を混ぜる方法を知らなかったためと,当時雑穀を使っためん類,たとえば大麦切り,あわ切り,きび切りなどがつくられたが,これらはつなぎを使わずにその粉だけで打っていたことにもよると思われる。一説に,寛永年間(1624-44)奈良の東大寺に来た朝鮮の客僧元珍が小麦粉の使用を教えたというが,それを裏づける史料は見当たらず,実際に小麦粉をつなぎに使うようになったのは,早くても元禄(1688-1704)末期以後であろう。要するに,そば切りがつくられてから100年ほどの間,そば切りはそば粉だけの〈生(き)そば〉であった。

寛永ころには,地方の村々でもそば切りが売買されていたことは,1642年5月の御触書によって明白であるが,江戸の町でもほぼ同じころそば屋ができたという。江戸初期のそば屋は,三都とも菓子屋から船切り(生のそばを浅い矩形の箱に並べたもの)を取り寄せて使う店が多かった。1664年(寛文4)に〈けんどんそば切り〉が売り出され,4年後にははやりものの一つに数えられるまでになった。けんどんそばの元祖については,瀬戸物町信濃屋と堀江町二丁目伊勢屋との説があるが,吉原の江戸町二丁目仁左衛門とするのが正しい。〈けんどん〉は慳貪,見頓,喧鈍,巻飩,倹飩などの字があてられるが,あて字のうち,慳貪の本意である吝嗇(りんしよく)から,愛想がなく,1杯ずつ盛切りにして替わりをすすめず,給仕もしないのを建て前としたための名というのが通説である。やがて,そば屋,うどん屋をけんどん屋と呼ぶようになった。もともと,うどん屋では,出前に紅がら塗りの質素なうどん桶(おけ)を用い,汁はとくりに入れて別にした。けんどん屋になってからは2段棚の箱に変わり,これをけんどん箱,または略してけんどんといった。けんどん箱を仕切り,そばのほか汁次(しるつぎ)や薬味箱などもいっしょに収めたのが,〈けんどん提重(さげじゆう)〉で,忍(しのび)けんどんとも呼んだ。これに種々の蒔絵を施したのが〈大名けんどん〉である。夜間のそば行商がいつごろから始まったかは明確でないが,1686年(貞享3)には,めん類の夜売りが煮売り仲間から独立した業種として認められたばかりでなく,煮売りの筆頭にのし上がった。江戸ではこれを〈夜鷹そば〉,京坂では〈夜啼(よなき)うどん〉と称した。夜売りの期間は,陰暦9月から雛の節句である3月3日までと限られていたが,寛政(1789-1801)末以降は期限が延びた。

 1728年(享保13)ころ,江戸の神田あたりに〈二八即座(にはちそくざ)けんどん〉の看板を出したそば屋があり,おそらくこれが〈二八そば〉の初めであろう。二八そばの名の由来には,二八十六の16文の代価説と,そば粉8割につなぎの小麦粉2割の二八とする混合率説とがあり,結論は出ていない。ただ,代価は1744年(延享1)から1860年(万延1)まで100年以上も16文の時代が続いたのに対し,二八が混合率を指すようになったのは,代価が16文を超えた文久(1861-64)ないしは慶応年間(1865-68)以後である。江戸後期になると,二八は駄そば(粗雑なそば)の代名詞となり,高級店は座敷を設け〈手打ち〉あるいは〈生そば〉を看板にして,二八そばとの格差を強調したが,幕末になると二八そば屋までが手打ちや御膳生そばを名乗り,店構えだけでは両者を区別できなくなった。そば屋の屋号には,〈藪(やぶ)〉〈更科(さらしな)〉〈砂場(すなば)〉をはじめ,享保(1716-36)ころからそば切り寺として知られた道光庵(江戸浅草の一心山称往院塔頭)にあやかるため,競って庵号をつけるそば屋がふえた。このほか,それぞれの系統があり,しにせでは独自の格式と味を保持している場合が多いが,一般にはのれんによる品質の差が見られないのが現状である。1860年における江戸府内のそば屋は夜売りを除き3763店を数えたといい,こうした普及に伴って,〈晦日(みそか)そば〉〈年越しそば〉〈引越しそば〉などの習俗が発生した。このうち前2者は,金銀細工師が飛散した金銀粉を回収するのにそば粉を用いたとすることから金銭の回収にかけ,後者は〈そば近く〉をもじって交誼(こうぎ)を願う意とされる。また,年越しそばはそれを食べると運が向くからといって〈運気そば〉,延命長寿や身代が伸びるというので〈寿命そば〉ともいった。

そば粉は石うすでゆっくりひいたものがよいが,ほとんどが機械製粉である。製粉されたものはふるいにかけて一番,二番,三番粉までをとる。一番粉は白いが粘りがなく,二番,三番粉の色は黒いが香りと粘りがあって,そば切りにつくりやすい。良質のそば粉の製粉歩留りは65~70%で,標準粉の新鮮なものはさらさらして薄緑色を呈し,ほのかな甘みがある。現在手打ちと機械製めんの両方が行われているが,機械製めんは1888年3月,佐賀県出身の真崎照郷が製めん機の特許を取得してから徐々に普及した。つなぎにはふつう小麦粉が用いられ,混合率によって,外一(そといち)(そば粉10,小麦粉1),一九,二八,七三,四分六,同割(どうわり)などと呼ばれる。これらのうち,二八は食いくちがよく望ましい配合であるが,現在では一部の店を除きそば粉と小麦粉が同量の同割になっている。これらに対して,そば粉の一部をのり状にして使う〈ともつなぎ〉のものが生そばである。このほか〈変りそば〉といって,つなぎに小麦粉以外の材料を加えたものがつくられる。おもなものにヤマノイモを用いる薯蕷(しよよ)切り,鶏卵を使う卵(らん)切り,タイのすり身を使うタイ切り,挽茶やユズを加えた茶そばやユズ切りなどがある。

 そば切りは熱湯でゆでたものを,〈つゆ〉につけて食べるか,熱いかけ汁をかけて食べる。前者を〈もり〉といい,後者は,はじめ〈ぶっかけ〉といったが,寛政ころからそれを略して〈かけ〉というようになった。〈かけ〉にいろいろの具をあしらったのが種物で,加薬(かやく)そばとも呼ばれ,幕末ころまでに花まき,あられ,てんぷら,卵(玉子)とじ,鴨なんばん,おかめなどが売り出された。花まきは焼ノリ,あられはバカガイの柱をのせたもので,鴨なんばんの〈なんばん〉はネギのことである。おかめは結びゆば,かまぼこなどの具をのせておかめの面をかたどったもので,〈しっぽく〉もほぼ同じものである。地方の名物そばには,青森県の津軽そば,岩手県盛岡・花巻のわんこそば,福井県のおろしそばなどが知られ,岩手県陸中海岸のはらこそば,身欠きニシンをたくみに生かした京都のニシンそばも独特の風味をもっている。なお,そば切りのゆで汁であるそば湯を飲む風習は元禄ころ信州から起こり,江戸に広まったのは1748年(寛延1)以降で,そばのタンパク質が水に溶けやすい点からいって,栄養上きわめて合理的な利用といえる。
執筆者:

ソバは山間の高冷地に適し,播種から75日で収穫できるといわれるように,短期間で取入れが可能なため,山村では焼畑の初年度作物として多く作られた。高知県高知市の旧土佐山村では,焼畑をソバヤマといったという。ソバの播種時期には各地で種々のことわざがあり,東日本では土用を目安としたが,岡山県では昴星をソバまき星と呼んで,スバルが中空に達するのを目安にまいたという。そばは奥羽や木曾などの山村ではそばがきや焼餅にして常食にされた。長野県木曾町の旧木曾福島町黒川では,大正初めまで,朝夕はそば焼餅で昼は粟飯が普通だったという。そばは初めは救荒食物や主食を補うものだったが,近世になりそば切りが流行しだすと変り物としてハレの食品にもされるようになった。年越しそばはその代表である。これは金箔業者が散った金粉をそば粉で取り集めたことに始まるといわれ,また金箔を狸の皮の上で叩き伸ばすことから,そば屋の店先にはよく狸の置物がある。神奈川県の旧家では,以前,婚礼や結納の宴席ではまずそばを出すしきたりだったという。また愛知県の山村ではかつて山の神祭の供物の一つにそば餅があった。そばを常食にすれば貧乏になるということわざも,そばがハレの食品とされたからであろう。小正月には,ヤロクロとかホガホガといって,豆やソバの殻を家の周囲にまきながら魔よけや田の代かきのまねをする風が東北北部で行われ,また岩手県久慈市の旧山形村では〈ソバ作り〉といって,正月15日晩にそばだんごで犬などの形を作って山桑の枝にさし,犬は害鳥を追うまじないにしたという。流行病の際には,〈ソバまで来たがアワしない〉といって,アワとソバを紙に包んで入口につるし,病気や厄病神を退散させる行事が行われた。このほかにもソバは厄災や穢れを払うのによく用いられた。昔話のなかには,ソバの茎根が赤いのは山姥の血で染まったからだという起源譚が伴っているものがある。また,ソバ畑は村はずれの地味の悪い所にあり,ソバの花は白く咲くため,夜道を帰る際には幻覚を起こさせ,よく沼や川などとまちがえられた。狐に化かされた話やソバを禁忌作物とする伝説には,よく水と見まちがえられたソバ畑のモティーフが登場する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソバ」の意味・わかりやすい解説

そば
そば / 蕎麦

そば粉を主原料にした食品。一般にはそば粉を水でこねて薄く伸ばし、細く切った麺(めん)(そば切り)をさす。ソバは中国が原産地で、朝鮮半島を経て日本へ渡来し、各地で栽培されるようになった。渡来の時期は古く、縄文晩期ともいわれる。現在では世界中で広く栽培されている。ヨーロッパへの伝来は14世紀以降で、パンなどにそばの粉を混ぜて用いられた。日本では奈良時代すでにそばが用いられていたことが記録にみえる。『続日本紀(しょくにほんぎ)』養老(ようろう)6年(722)条に、夏、干魃(かんばつ)で大飢饉(ききん)になったため、晩禾(ばんか)(晩稲)や大小麦とともにソバを植えることを命じた、とあるのがそれである。また、『続日本後紀(しょくにほんこうき)』承和(じょうわ)6年(839)条にも、非常の作物としてソバを植えるようにとの命が出たとあり、ソバは古くから救荒作物として栽培されていた。日本におけるソバの最初の栽培地は滋賀県の伊吹山付近といわれ、ここから順次東へ広がった。そして、岐阜、長野、山梨の各県などで栽培が盛んになり、今日では信州が名産地として有名である。このほか、各地に数多くのソバの産地があり、土地の名を冠したものが食べられているが、五穀のように常食はしていなかったようである。そばは粒状のむきそば、およびそば粉が食用として用いられる。

[河野友美・大滝 緑]

そば粉

ソバの種実を挽(ひ)いて、中の胚乳(はいにゅう)部を粉にしたのがそば粉である。ソバの製粉は外皮を除いたのち、石臼(いしうす)にかけて粉砕する。通常は甘皮も除去して製粉する。小麦製粉用の小型ローラーなども用いられている。原料ソバに対し、粉の歩留りは70~75%ほどである。歩留りを高くするほど粉は黒くなるが、風味はかえってよいといわれる。ソバの種実のいちばん中心部だけを挽いたものが一番粉(こ)で、色もそば粉のなかでいちばん白い。この粉のことを「さらしな」(新しい品物の意)ともよんでいる。これに更科(さらしな)と字をあて、そば店の屋号によく使われる。一番粉をとるためには、臼の間にいくらかすきまをあけておく。一番粉をふるい分けてとった残りは、さらに臼の目をつめて挽き、二番粉をとる。また、「挽きぐるみ」というのがあるが、これは外皮をとっただけで粉全体を挽いたもので、色が黒っぽい。出雲(いずも)そば、出石(いずし)そばなどにはこのようなそば粉が使われる。

[河野友美・大滝 緑]

そば切り(そば)

日本でもっとも多いそば粉の利用はそば切りである。そば粉をこねて薄く伸ばし、細く切ったものをそば切りとよんでいる。これを略して、そばという。そば粉だけでは麺状にうまくつなぎにくいので、普通は小麦粉をつなぎに用いる。そのほか、ヤマノイモ、卵白などもつなぎに使われる。また、挽茶、ごま、ゆずなどを加えた各種のそば切りもつくられている。挽茶を加えたものはとくに茶そばという。

 そば切りの始まりは、天正(てんしょう)年間(1573~1592)であるとされている。一説によれば、江戸初期に朝鮮半島から渡ってきた僧の元珍が、南都の東大寺にきて、そばのつなぎに小麦粉を加えることを教え、初めてそばでつくった麺ができあがったという。そば麺は、平たく伸ばした生地(きじ)を何枚にも畳み、端から細くそば切り包丁で切ったので「そば切り」の名がある。そば切りの技術は、奈良から木曽路(きそじ)を経て江戸に入った。寛永(かんえい)(1624~1644)の末ごろには辻(つじ)売りが現れ、1664年(寛文4)には吉原で「けんどんそば切り」が売られ、18世紀初めごろには、そば店が江戸の町の各所にみられるようになった。とくに、江戸末期には非常に多くのそば店があり、「更科」や「藪(やぶ)」の名のつく店が多数できた。「更科」は江戸麻布(あざぶ)(港区)の永坂にできた「信州更科蕎麦所」と看板を掲げた店が最初で、産地からの直接販売を売り物にしたのがはやり、江戸全体に広がったといわれる。一方、「藪」のほうは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)鬼子母神(きしもじん)門前や本郷団子坂の藪蕎麦が知られ、通人の通う所には「藪」が多いというところからきたという。

 そばのつなぎが次々と研究された結果、二八(にはち)そばといって、つなぎの小麦粉二にそば粉八といったものから、三七、四六、半々、外(そと)二、外三などが考案された。外三というのは、そば粉に対して小麦粉3割という意味である。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』では、二八そばの名は、1人前が16文(もん)(2×8=16)であったためにしゃれていったものだとしている。また引っ越しそばは、「そばのように末長いつきあいを」という意味を込めている。

 そば切りは、ゆでたあと、いろいろな方法で食べる。大きく分けると、「もり」と「かけ」あるいは汁そばに分かれる。「もり」は、そば切りをゆでて、蒸籠(せいろう)あるいは竹簀(たけす)の上に盛って出し、つゆをつけて食べる。そば本来の風味をもっともよく生かせる食べ方で、つゆのくふうによりそばの味が生きる。「かけ」は、汁をかけたところからきたもので、汁そばである。これには種類が多く、てんぷら、おかめ、月見、鴨南蛮(かもなんばん)、納豆(なっとう)、花巻き、卵とじ、たぬきなどがある。そのほかそば切りの食べ方としては、そばずし、そばサラダなどがある。

 そばには名物になっているものが多い。もっとも有名なものには信州そば(長野県)、出雲そば(島根県)などがあるが、そのほか、わんこ(岩手県)、白河(福島県)、御岳(みたけ)(山梨県)、出石(いずし)(兵庫県)、日吉(ひよし)(滋賀県)なども古くから知られている。

 そば切りを乾燥させたものに、干しそばがある。干しそばは、日本農林規格(JAS(ジャス))で、そば粉が30%以上使用されているものでないと、そばの名称をつけることができない。

[河野友美・大滝 緑]

その他の食用

むきそばはソバの種実の外皮をむいたもので、そば飯やそば汁にして食べる。そば飯は、ぽろぽろする程度に固く炊いた米飯に、そばの粒を加えて混ぜ、蒸したものである。そば汁は、煮たむきそばを、だしにしょうゆなどで調味したものの中に入れ、軽く煮たものである。

 そば粉を使ったものでは、そばがきがある。そば粉に熱湯を加えながら箸(はし)で強くかいたもので、普通はしょうゆを少しつけて食べる。これをつくるとき用いる茶碗(ちゃわん)は、十分に熱湯を注いで温め、用いる湯はよく沸騰している必要がある。また、鍋(なべ)に水溶きしたそば粉を入れて火にかけ、絶えずかき回しながら火が通るまでよく練ってもよい。調味はしょうゆだけでもよいが、これにおろし大根や刻みねぎなどを薬味として添えてもよい。また、しょうゆに水溶きした葛粉(くずこ)を加え、薄あん状にしたものをかけて供することもある。

 そば餅(もち)は半生菓子で、そば粉と小麦粉を練って皮をつくり、中に餡(あん)を入れて焼いたもの。

 そばボーロは、そば粉を原料にした焼き菓子で、京都の銘菓の一つである。軽くて香ばしく歯あたりがよい。卵と砂糖を混ぜたところへ、そば粉、小麦粉をふるい込み、伸ばして型抜きし、オーブンで焼き上げる。

 そばまんじゅうは、そば粉、ヤマノイモ、新粉(しんこ)(米の粉)などを混ぜてつくった皮に餡を包んだまんじゅうである。長野県木曽(きそ)福島のそばまんじゅうは、そばの香りが高く、地方銘菓の一つである。

 そば落雁(らくがん)は、そば粉を主材料にしてつくった落雁である。そのほか、そば粉を主材料にした煎餅(せんべい)の一種で、長さ4センチメートルくらいの長方形で、表面にごまがふりかけてあるそば板もある。

[河野友美・大滝 緑]

栄養

そばは、昔から健康によい食品といわれてきた。そばの効用について、『本朝食鑑』(1697)では、「気味甘く、微寒にして毒なし、気を降し、腸胃の滓穢積滞(しわいせきたい)を寛(つまびらか)にす。水腫(すいしゅ)・白濁・泄痢(せつり)・腹痛・上気を治し、或(ある)いは気盛んにして湿熱ある者によろし」とある。

 そば粉にはタンパク質が6~15%ぐらい含まれている。内層粉では6%と低いが、表層粉では15%と高くなっている。このタンパク質は必須アミノ酸のバランスがよく、とくに穀物中では珍しく、リジン含量が多いのでたいへん質のよいものである。また、ビタミンB1、鉄、カリウムが多い。こういったことが効用のある食品とされ、また、備荒食品としても価値が高かった理由であると考えられる。ただし、そば切りにして小麦粉を多く混合したものでは、先にあげた栄養成分は大幅に下がる。なお、そばは、アレルギーをおこしやすい食品のうち症状の重篤度が高いため、加工食品については、原材料として当食品を含む場合は、その旨を表示することが食品衛生法により2002年(平成14)4月から義務づけられている。

[河野友美・大滝 緑]

語源と民俗

ソバの語源は、ソバの果実に三つの稜(りょう)があり、ムギと対比するとその点が大きく異なるので、古くはソバムギとよばれた(『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』『本草和名(ほんぞうわみょう)』)。命名からして、その渡来はムギより遅い。徳島県の祖谷(いや)など山間地方では「そば米」がつくられている。ソバの果実を煮て、数日間干し、脱粒した一種の糒(ほしいい)で、ハレの日の雑炊や吸い物などに使われる。そば米は、ソバの粉食やそば切りが普及する前の粒食の痕跡(こんせき)をとどめているとの見解がある。中国原産だが、現存する中国最古の農書『斉民(せいみん)要術』(6世紀)には、蕎麦(そば)が巻頭雑説に取り上げられているにすぎず、本文には記載がない。南北朝時代にはまだ普及していなかったと考えられる。

 年越そばの起源にはいくつかの説がある。月末の晦日(みそか)が夜遅くまで忙しい商家で、夜食にそばを食べた習慣に基づくという説、金箔師(きんぱくし)が金銀細工の際、そば粉を打って伸ばし、飛び散った金銀の粉を吸着させたのにちなみ、金銀が集まる縁起を担いだとか、そば殻を焼いた灰で使い古した器を洗うと長年の汚れがよく落ちることや、胃腸のかすを流すそばの効用から、旧年の穢(けがれ)を落とす、あるいはそばがよく延びるので、年を延ばし幸福にという縁起を込めたなどの諸説である。つごもりそば、運気そば、運そばなどともよぶ。

 そば屋の屋号に使われる「庵(あん)」は、江戸浅草の日輪寺(にちりんじ)の隣に遊称院(ゆうしょういん)という浄土宗の寺があり、そこの道光庵(どうこうあん)主が手打つそばの味が優れ、人気があったことにあやかったものという。現在そのゆかりの称往院(世田谷区北烏山(きたからすやま))には、そば禁制の碑があり、「不許蕎麦入境内地中製之而乱当院之清規故」と記されている。評判で寺がそば屋のようになったのを戒めて立てられた。

[湯浅浩史]

『日本麺類業組合連合会編『日本の蕎麦』(1981・毎日新聞社)』『長友大著『ソバの科学』(1984・新潮社)』『新島繁・薩摩夘一著『蕎麦の世界』(1985・柴田書店)』『植原路郎著『蕎麦辞典 改訂新版』(2002・東京堂出版)』『新島繁著『蕎麦年代記』(2002・柴田書店)』『鈴木啓之著『そばの歴史を旅する』(2005・柴田書店)』



ソバ
そば / 蕎麦
buckwheat
[学] Fagopyrum esculentum Moench

タデ科(APG分類:タデ科)の一年草。古くから利用されてきた穀類の一つで、救荒作物の一つともされてきた。また蜜源(みつげん)植物としても利用される。茎は高さ0.6~1.3メートルでよく分枝し、一面に凹みをもち、内部は中空である。葉は互生し、三角形に近い心臓形で、袴(はかま)状の托葉鞘(たくようしょう)がある。茎上部の数葉には葉柄がない。夏から秋、枝先に短い総状花序を出し、多数の花をつける。花は直径約6ミリメートルで、花弁のようにみえる5枚の白または紅色の萼(がく)、8~9本の雄しべ、1本の雌しべからなる。ソバの花は異型しべ現象(異型花柱性)を示し、雌しべ(花柱)が長く雄しべ(花糸)が短い長柱花と、雌しべ(花柱)が短く雄しべ(花糸)が長い短柱花とがあって、長柱花どうしあるいは短柱花どうしでは受精しない。果実は三角錐(さんかくすい)形、黒褐色あるいは銀灰色で、1000粒でも16~35グラムしかない。

 冷涼な気候でよく育ち、生育期間は2~3か月と短く、早生(わせ)の夏ソバと晩生(おくて)の秋ソバの生態型が区別できる。土壌はあまり選ばず、適応性があることから、いろいろな作付体系のなかに組み入れられている。

 現在(2017)の主産地はロシア(152万4280トン)、中国(144万7292トン)、ウクライナ(18万0440トン)、フランス(12万7406トン)、カザフスタン(12万0379トン)などで、3万トンを産する日本もおもな生産国である。国内では北海道が全国の半分以上を生産し、長野、栃木、茨城、福島の諸県も産地である。

 そばや菓子などとしての利用以外に、普通の脱穀では実が砕けるので、一度水に浸し、蒸熱してから乾燥、脱穀するパーボイル的な方法でそば米(まい)にし、煮食あるいは米と混炊して食べる。またアルコール原料としてそば焼酎(しょうちゅう)がつくられる。ソバを蜜源植物とした蜂蜜(はちみつ)は、暗褐色で特有の風味がある。幼植物は野菜としても食べ、茎葉は緑肥や青刈り飼料とされる。そば殻(がら)は、枕(まくら)の詰め物として親しまれている。ドイツではビール醸造のほか蒸留酒の原料とされるが、ヨーロッパやアメリカでは主として乳牛、ブタの飼料とされる。

[星川清親 2020年12月11日]

起源と伝播

栽培ソバの起源地は、東アジア北部、バイカル湖付近から中国東北部に至る地域とされてきたが、近年、多くの研究から、カシミール、ネパールを中心とするヒマラヤ地方、中国南部の雲南地域からタイの山地にかけて東西に細長く分布する野生ソバが発見された。この野生種には二倍種と四倍種の2型が分布しているが、栽培ソバはすべて二倍種であること、また野生二倍種の分布は野生ソバの分布地域のうち、雲南地域に限られていることから、栽培ソバの起源地は雲南地域であることが確実となった。この野生ソバは宿根性の多年生である以外は栽培ソバと酷似している。

 栽培ソバには2種あって、日本、ロシア、中国、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、南アメリカ、アフリカなど世界に広く栽培されている普通ソバF. esculentum Moenchと、中国、ヒマラヤ地域で一部栽培されているダッタンソバF. tataricum Gaertnがある。ダッタンソバは普通ソバに比し苦味が強いのでニガソバともいい、食用以外にも飼料として利用される。中世のころ韃靼(だったん)人によってヨーロッパに導入されたため、この名がついた。これらの2種の栽培ソバは前記の野生種から起源されたもので、同一祖先野生種から分化した。

 中国南部の雲南地域で野生種から栽培種が成立したことから、中国における栽培はかなり古いとみられるが、史料としては7~9世紀に初めてその記録がみられる。また日本へは中国から朝鮮半島を経て伝えられた。もっとも古い記録として『続日本紀(しょくにほんぎ)』に、養老(ようろう)6年(722)に干魃(かんばつ)が起き、将来に備えてソバ栽培を奨励したとある。ヨーロッパの記録は14世紀にドイツでみいだされ、17世紀にはヨーロッパ各地に伝播(でんぱ)している。アメリカには1625年以前にオランダ植民によって導入され、続いてカナダに伝播した。

[田中正武 2020年12月11日]

『新島繁編著『蕎麦の事典』(1999・柴田書店)』『本田裕著『ソバ――条件に合わせたつくり方と加工・利用』(2000・農山漁村文化協会)』『高橋邦弘著『高橋邦弘の蕎麦大全』(2004・日本放送出版協会)』『片山虎之介著『ダッタン蕎麦百科』(2004・柴田書店)』『鈴木啓之著『そばの歴史を旅する』(2005・柴田書店)』


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食の医学館 「ソバ」の解説

そば

《栄養と働き》


 そばには5月中旬から6月中旬にかけて種が蒔かれる夏そばと、7月中旬から9月上旬に蒔(ま)かれる秋そばとがあります。新そばといわれるのは、秋そばのことで、香り、味ともに夏そばに勝っています。
 非常に丈夫な作物で、やせ地や寒冷地でもよく生育し、しかも50~70日と短期間に収穫できる利点があります。そのため、飢饉(ききん)に備える作物として、古くから重要視されていました。
〈毛細血管を強化するルチンのパワー〉
○栄養成分としての働き
 栄養的には、他の穀類には少ないアミノ酸のリジンやトリプトファンが多く、たんぱく質の栄養価が高いのが特色です。コレステロールを排出してくれる食物繊維も豊富なので、便秘(べんぴ)改善や動脈硬化予防に有効です。
 そばには毛細血管を強くするルチンが含まれているのも大きな特色です。ルチンはそばの実の殻(から)に多く含まれている栄養素で、フラボノイドの一種。欧米では薬として用いられているといいます。
 その働きとしては、毛細血管を強化するほか、血圧降下作用、膵臓(すいぞう)機能の活性化、また記憶細胞の保護や活性化にも関係しているといわれています。その結果、心臓病や脳血管障害の予防、糖尿病の予防と抑制、記憶力の向上などに有用です。
 最近では、そばに含まれるたんぱく質が体脂肪の蓄積を抑える働きをすることがわかっています。
 ルチンの働きとそばたんぱくの働きで、動脈硬化予防に強い効果を発揮する食品といえます。

《調理のポイント》


 そばは麺(めん)として食べるのが一般的です。もりそばやかけそば、また、ゆでた麺をのり巻きにしたそば巻きなど、くふうしだいでいろいろと利用できます。
 そばを食べる際に注目したいのは、薬味の存在。薬味はそばの効能を引きだす役割もになっているのです。たとえば、刻んだネギは、アリシンという物質を含んでいるので、そばのビタミンB1の吸収を高め、疲労回復、冷え症などに効果を発揮します。
 ワサビは辛み成分のシニグリンが代謝を高め、冷えを改善するので、体を冷やす食品といわれるそばとの組み合わせは理にかなっています。
 また、ルチンやビタミンB群は水に溶けやすいので、ゆでると、ゆで汁の中に溶けでてしまいます。ゆでた汁は、捨てずにそば湯として飲みましょう。このとき、つけそばの汁に入れて飲むときは、食塩のとりすぎにならないよう、十分注意してください。
 また、そばがきにすれば、成分を丸ごととることができます。ダイコンおろし、ワサビ、ノリ、ゴマをそえて、そばつゆをかけて食べます。
○注意すべきこと
 そばには体を冷やす作用があります。夏の暑気払いには向いていますが、冷え症の人や冷えが原因で胃弱になっている人は、冷たいそばを常食するのはやめましょう。

出典 小学館食の医学館について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソバ」の意味・わかりやすい解説

ソバ(蕎麦)
ソバ
Fagopyrum esculentum

タデ科の一年草で,中央アジア原産。高さ 50~80cmで茎は中空の円柱形,紅色を帯びることが多い。葉は互生し,三角形状で基部は心臓形。茎の上部につく葉には柄がない。夏から秋に,枝先に短い花穂を出し白色の小花を多数密につける。花序には1列に毛があり,個々の花は5枚の萼片をもつ。果実には3本の稜があり,やや翼状に発達して独特の形をとる。緑色またはやや赤みを帯びているが,収穫して乾燥すると黒褐色になる。外皮を除いた中身を製粉してそば粉とし,翼のある外皮はそば殻として詰め物や枕に入れる。種子は乾燥地でもよく発芽し,生育期間が短く,肥料をあまり必要としないため,開墾地,傾斜地,不良土にもよく育つ。そのため救荒作物として使われている。世界の生産地域は中国,旧ソ連地区,アフリカ,カナダ,南アメリカと多く,日本では北海道,鹿児島が主産地となっている。そば粉は古くから知られ,そばがきなどとして食された。良質の蛋白質 (約 13%) ,ビタミンB類が多く,水とこねても小麦粉のように粘弾力を生じない。そのため,小麦粉,ナガイモ,鶏卵などをつなぎにして,そば (そば切り) をつくる。そばのうち,そば粉は 70~75%程度であるが,更科 (さらしな) そばの系統のものは歩どまりが低く,色が白い。また藪 (やぶ) そばの系統のものは歩どまりが高く色が黒い。

ソバ
Sova, Antonín

[生]1864.2.26. パツォフ
[没]1928.8.16. パツォフ
チェコの詩人,散文作家。チェコ近代抒情詩の創始者の一人。自然をうたった詩『自分の地方から』Z mého kraje (1892) ,象徴詩『悲しきやすらぎ』 Vybouřené smutky (97) ,恋愛詩『生と愛の抒情詩』 Lyrika lasky a života (1907) ,愛国詩『祖国の歌』 Zpěvy domova (18) ,感情の揺れを描いた小説『イボの小説』 Ivův román (02) などの作品がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ソバ」の意味・わかりやすい解説

ソバ

タデ科の一年草。中央アジア東部の原産。気候に対する適応性大でやせ地にもよく育つ。春まきの夏ソバと夏まきの秋ソバとがある。高さは0.6〜1m,茎は中空で分枝し,その先に白〜淡紅色の花をつける。種実は三角形で多量のデンプンをたくわえ,高血圧症に効のあるルチンを含む。ソバ粉にして,そば,そばがき,菓子などの原料に,またソバ殻は枕の詰物とされる。〔食品のそば〕 めん状の,いわゆるそば(蕎麦)切りは江戸初期に朝鮮の僧,元珍が伝えたという。ソバ粉に,つなぎとして小麦粉,ヤマノイモ,鶏卵などを加え,水でこね,薄く伸ばし,細切りする。もとは手打ちであったが最近は機械打ちが主。最初にふるいとった一番粉で作る白色の更科(さらしな)と,二番粉による黒いが風味のある藪(やぶ)の系統がある。縁起のよい食品として引越しそば,年越しそばの風習があり,信州の戸隠(とがくし)そば,島根の出雲そばなどが有名。

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事典 日本の大学ブランド商品 「ソバ」の解説

そば

[加工食品]
専修大学北海道短期大学(北海道美唄市)の大学ブランド。
農場・専大ファーム生産の原料を使用したそば。農薬・化学肥料を用いずに栽培されている。専大ファーム生産のそばと小麦「春よ恋」、それに山陰地方奥出雲の清冽な水と塩が原料。製麺は、本田商店(島根県大原郡木次町)。専大ファームでは奥出雲そば(全層石臼挽き)として出荷。
(注)記載内容は事典編集当時(2010年2月)のものです。内容・価格等はその後に変更になった場合もあります。

そば

[加工食品]
宇都宮大学(栃木県宇都宮市)の大学ブランド。
農学部附属農場で無農薬栽培されたそば。このそばは、香りのある信濃1号。価格は、200gで220円。宇都宮大学生活協同組合峰キャンパス店・ミニストップ宇都宮大学店取り扱い。
(注)記載内容は事典編集当時(2010年2月)のものです。内容・価格等はその後に変更になった場合もあります。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の大学ブランド商品」事典 日本の大学ブランド商品について 情報

栄養・生化学辞典 「ソバ」の解説

ソバ

 [Fagopyrum esculentum].タデ目タデ科ソバ属の一年草.食用穀物の一つ.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のソバの言及

【雑煮】より

…雑煮餅ともいい,野菜,魚貝,鳥肉などを具にした汁に餅を入れて煮た料理。いろいろの材料をまぜて煮るための名で,別に〈亨雑(ほうぞう∥にまぜ)〉とも呼んだ。現在では正月三箇日の祝膳に用いられるが,この風習は室町末期ころ成立したものらしい。雑煮,雑煮餅の語はそれより古く室町前期から見られ,おもに儀礼的な酒宴の初献(しよこん)に用いられていた。伊勢貞丈は,初献に餅を煮て勧めるのは〈臓腑を保養する〉ためで,亨雑は〈保臓〉だとしている。…

【めん類(麵類)】より

…それらの店を江戸はそば屋といい,京坂ではうどん屋と称し,京坂では店先に〈麵類処(めんるいどころ)〉と書いた行灯をつるすと《守貞漫稿》は記している。うどんそうめんソバ【鈴木 晋一】。…

※「ソバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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