日本歴史地名大系 「縄生村」の解説
縄生村
なおうむら
[現在地名]朝日町縄生
天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写に「なおう」と出、同一二年頃の織田信雄分限帳(内閣文庫蔵)では、森清十郎がこの地で九七〇貫を知行していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写に「なおう」と出、同一二年頃の織田信雄分限帳(内閣文庫蔵)では、森清十郎がこの地で九七〇貫を知行していた。
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