群馬郷
くるまごう
「和名抄」高山寺本は本郡の最後に記載し、東急本には八番目に記され、ともに訓を欠く。「和名抄」国郡の群馬郡には「久留末」と訓を付け、「国分為東西二郡府中間国府」と注記している。郡名が同じであるから、郷名も「くるま」と読まれたものであろう。しかも東西二郡に分けて管掌され、群馬郷は東郡に属したことになる。藤原宮跡から「上毛野国車評桃井里」と墨書された木簡が出土、鮎を献上したとき付けた木札である。榛名山の西にあたる現吾妻郡吾妻町本宿から須恵器の
の内底に「車」と墨書したものが出土し、八世紀頃のものとみられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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