国指定史跡ガイド 「義仲寺境内」の解説
ぎちゅうじけいだい【義仲寺境内】
滋賀県大津市馬場にある寺院。旧東海道に面したJR膳所(ぜぜ)駅の北約300mに位置する。源義仲(みなもとのよしなか)(木曾義仲)が1184年(元暦1)に平家討伐の兵を挙げて都に入り、源義経・範頼の率いる源頼朝軍に追われて近江の粟津(あわづ)で敗死した地に墓(木曾塚)が造られて葬られたという由来の寺院。近江守護だった佐々木六角(ろっかく)氏が、室町時代末期に再興したという。当初は塚上に柿の木が植えられただけの小さなものだったが、のちに墓石が建てられ、次いで宝篋印塔(ほうきょういんとう)がすえられて現在にいたっている。義仲寺の沿革は定かでないが、早くから一般に知られ、周辺の美しい景観をこよなく愛した江戸時代の俳匠、松尾芭蕉(ばしょう)もたびたび訪れて滞在している。1694年(元禄7)に芭蕉が大坂で死去すると、門弟が遺言どおり義仲の墓のかたわらに遺骸を葬った。境内には芭蕉の辞世の句である「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、義仲墓・芭蕉墓、無名庵(むみょうあん)、翁堂(おきなどう)(芭蕉堂)、粟津文庫など、義仲と芭蕉にちなんだものがある。1967年(昭和42)に国の史跡に指定された。JR東海道本線膳所駅から徒歩約10分。