朝日日本歴史人物事典 「羽太正養」の解説
羽太正養
生年:宝暦2(1752)
江戸後期の幕臣。通称左近,主膳,庄左衛門,安芸守。旗本500石。寛政8(1796)年5月目付,同11年東蝦夷地幕領化の際,蝦夷地取締御用掛に任じられ,享和2(1802)年に箱館奉行が新設されると,戸川安論と共に着任。文化4(1807)年西蝦夷地も幕領となり,箱館奉行は松前奉行に改称された。折しもロシア使節レザーノフが対日通商要求を拒否されたことから択捉島などを襲撃する事件が起き,正養は処理に苦慮した。彼はロシアは戦争を好まぬと判断していたが,戦闘で日本側が敗退した責任を問われ同年11月罷免,逼塞を命じられた。この間の事情を記した『休明光記』(『新撰北海道史』5巻)は基本史料。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報