日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンバウン朝」の意味・わかりやすい解説
コンバウン朝
こんばうんちょう
Konbaung
上ビルマ、シュエボー(雅名コンバウン)の地に拠(よ)るアラウンパヤー王(在位1752~60)が興したビルマ最後の王朝(1752~1885)。アラウンパヤー朝ともいう。都はその後、アバとアマラプーラおよびマンダレーへ移った。王朝初期、下ビルマのモン人勢力およびアラカン王国を撃滅し、ここに現ミャンマー(ビルマ)国土の基礎が形成された。また西のマニプルを征服し、東方アユタヤへの侵攻、さらに清(しん)の乾隆(けんりゅう)ビルマ遠征を撃退したが、19世紀に入ると第一次イギリス・ビルマ戦争によりアラカン、テナセリム(現タニンタリー)を、第二次の戦争では下ビルマ全域を失う。第9代のミンドン王(在位1853~78)はこうした外圧に対処すべく新税制を施行し、地方領主(トゥージー)の権限を削減することによる税収増大、中央集権体制強化を図り、西欧先進技術の導入による殖産興業策を強行した。これによって社会構成は大きく変化し始めたが、1885年の第三次イギリス・ビルマ戦争により王朝は滅亡した。文芸面においては、戯曲を中心とする散文文学の興隆によって大衆文化が根を張り、民族意識の形成に寄与した。また王統史や地方史の編纂(へんさん)も盛んであった。
[伊東利勝]