日本歴史地名大系 「羽根倉河岸」の解説 羽根倉河岸はねくらがし 埼玉県:浦和市下大久保村羽根倉河岸[現在地名]浦和市下大久保下大久保(しもおおくぼ)村にあった荒川水運の河岸場の一つ。下流の道場(どうじよう)河岸(治郎河岸)の北約二キロの所にある。観応の擾乱の際には「羽禰蔵」で合戦があった(正平七年正月日「高麗経澄軍忠状」町田文書)。すぐ北側の鎌倉街道の道筋にあたる地点には羽根倉渡もあった。明治七年(一八七四)の船積問屋場調によると、寛文二年(一六六二)にはすでに河岸問屋があったという(「荒川の水運」歴史の道調査報告書)。荒川水運は明治初年までは隆盛をみせていたが、その後陸上交通の発達で廃れた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by