羽生庄(読み)はぶのしよう

日本歴史地名大系 「羽生庄」の解説

羽生庄
はぶのしよう

「和名抄」にみえる古代の遠賀(おか)郡埴生(はぶ)郷を中核として成立したと考えられる庄園。現垣生(はぶ)がその遺称地とされる。建久三年(一一九二)一一月一一日、鎌倉幕府は「粥田庄・羽生庄」内にあった貞清(姓不詳)の所領を没収し、代わって宇都宮時員(時貞)を当庄の地頭職に補任している(「将軍家政所下文案」宇佐宮玄記/太宰管内志)。当庄はもともと貞清の子息らが地頭を勤めていたが、建久度の宇佐宮式年遷宮に際して彼らが造宇佐宮課役を対捍したので、その過怠により地頭職を停止し、代わって時員を補任したという(同下文案)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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