中世から近世にかけて行われた武家法上の刑罰。過怠とは,本来,過失とか罪科の意味であったが,のちにこの行為に対して財物などの負担を負わせる刑罰を意味するようになった。鎌倉幕府が,1231年(寛喜3)に,謀反人を預けられた者がその罪人を逃がしたとき,罪人の罪の軽重にしたがって,重い者は所領を没収し,軽い者には過怠として寺社の修理等を命じたのが初期の事例である。1232年(貞永1)の《御成敗式目》では,謀書に関する罪科(15条)などに寺社の修理を課し,1235年(文暦2)には京都大番役を怠った西国御家人に清水寺橋修理を命じている。侍に対し所領没収より軽い罪に過怠を科したが,侍以外にも行われるようになり,銭貨を称すときは過料,過銭と称する。江戸幕府法になると過料が,特に《公事方御定書》以降広く行われるようになり,御定書では隠し鉄砲の村方惣百姓が過怠として御留場の鳥番を命じられたのが過怠の唯一の例となる。
執筆者:牧 英正
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とが、あやまち、おこたりなど軽微な犯罪、およびそれへの刑罰。古代以来これら軽微な犯罪には、過状(かじょう)や怠状(たいじょう)を書かせて一定期間謹慎させていた。過怠はおそらくこれを源流としたもので、平安後期から頻繁に史料上に現れる。1231年(寛喜3)の鎌倉幕府法令に、預け置かれた犯人が逃亡したとき、犯人の罪が重罪でなければ、預かり人に寺社修理などの過怠を行わせるという規定がある。これは過怠が所領没収に及ばない労役刑ないし財産(罰金)刑であったことを端的に示している。財産刑の場合は過料、過怠銭、贖銅(しょくどう)などともいわれ、諸国国衙(こくが)、寺社・荘園領主、惣村(そうそん)などでも広く行われ、近世にはもっぱら罰金刑を意味する言葉となった。
[義江彰夫]
『義江彰夫著「院政期の没官と過料」(『奈良平安時代史論集』1984・吉川弘文館)』
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もとは過失に属する微罪をはじめ比較的軽い罪をいい,中世には軽罪に対する刑罰の意味にも用いられた。鎌倉初期には寺社や橋梁の修理などが課された例もあるが,軽罪としての過怠には過料(かりょう)と称する罰金刑が科されることが多かった。刑罰の意味での過怠も過料とほぼ同義の罰金刑の呼称として用いられたとみられる例も多い。近世には過料を払えない者に対する刑として,過怠手鎖(てじょう)があった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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