羽生田城跡(読み)はにゆうだじようあと

日本歴史地名大系 「羽生田城跡」の解説

羽生田城跡
はにゆうだじようあと

[現在地名]壬生町羽生田 新郭

くろ川左岸の標高八〇―九〇メートルの地に築かれた中世城館跡。郭域は東西三一〇メートル・南北二五〇メートルにわたり、本丸とみられる現羽生田小学校敷地内の郭は、土塁と空堀が四重に囲繞している。本丸跡の南東根古屋南西に御下を家号とする家がある。羽生田城は壬生氏が文亀年間(一五〇一―〇四)に築いたと伝え、天正一八年(一五九〇)同氏滅亡とともに廃城になったという。壬生氏の拠点であった壬生城と鹿沼城のほぼ中間に位置し、これら一帯は天正年間北条方であった壬生氏が宇都宮・佐竹両氏と繰広げた合戦の場となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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