羽田郷(読み)はねだごう

日本歴史地名大系 「羽田郷」の解説

羽田郷
はねだごう

雪野ゆきの山系東側を占める近世郷。上羽田・中羽田・下羽田の三ヵ村から構成され、羽田三ヵ村、または上羽田村内の小村を加え羽田庄五ヵ村などともよばれた。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に羽田村四千六六石余とみえている。慶長六年(一六〇一)上羽田村が陸奥仙台藩領となり、翌七年検地帳は三ヵ村別々に残されているから、分村の時期は慶長六―七年以前と考えられる。三ヵ村は上羽田村の牛頭天王社(現羽田神社)の祭礼行事や羽田井の利用により深く結び付いていた。

羽田井は下南しもみなみ(現蒲生郡蒲生町)板井いたい川合かわい(現同上)車坂くるまざか湧水水源とし、佐久良さくら川に伏樋を通して羽田郷へ引き上羽田村南端で分水する用水路で、慶長年間伊達政宗により開削されたとも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android