日本歴史地名大系 「羽黒堂村」の解説 羽黒堂村はぐろどうむら 岩手県:水沢市羽黒堂村[現在地名]水沢市羽田町(はだちよう)・羽田町駅前(はだちようえきまえ)・羽田町駅東(はだちようえきひがし)・羽田町駅南(はだちようえきみなみ)・羽田町向畑(はだちようむかいはた)田茂山(たもやま)村の東、羽黒(はぐろ)山丘陵下と南麓の谷に開けた村。当地東部の丘陵上に羽黒堂城跡がある。城主羽黒堂下野守は葛西家臣として天正一六年(一五八八)気仙(けせん)郡浜田氏との戦いに出陣、軍功を立て本領羽黒堂村に相添えて胆沢(いさわ)郡下河原(しもがわら)村にて一万刈の知行を宛行われている(同年五月二日「葛西晴信知行宛行状」花巻松川文書)。葛西氏没落後は南部領に落ち、北松斎に仕え一〇〇石を知行されたと伝える。寛永一九年(一六四二)の羽黒堂村検地帳(県立図書館蔵)によれば田方二三町五反余・代二八貫一二一文、畑方二五町五反余・代七貫三四三文、ほかに茶畑が一町二反余・代二貫七八七文もあり、茶葉栽培がこの頃から盛んであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by