聖堂跡(読み)せいどうあと

日本歴史地名大系 「聖堂跡」の解説

聖堂跡
せいどうあと

[現在地名]中区二の丸

名古屋城内二の丸殿舎の奥、中御座之間の北方を北庭とよび、その東北隅に熊野くまの愛宕あたご両権現を祀り権現山と称した。「金城温古録」に「敬公御創建成置せられて、往初より御山西麓の所南面に在しと也。(中略)其堂形八角、内には金像の五聖七十二賢を御安置にて、先聖殿と御染筆の御額も掲れるよし」とある。林羅山の「拝尾陽聖堂記」の寛永六年(一六二九)一二月六日条に「其堂有両扉、築石為基、高於地四五尺許、堂下有花塢数畝、其傍有文庫、書籍殆及一千部」とある。

創建年月は不明だが、少なくとも同年以前の建立とみることができる。この堂は城内に置かれたが、東照とうしよう宮別当維摩院智鋒が享保九年(一七二四)水主かこ(現中村区)法蔵ほうぞう寺を興す時、本堂として与えられ移築した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む