日本歴史地名大系 「聖護院村」の解説 聖護院村しようごいんむら 京都市:左京区聖護院村[現在地名]左京区聖護院〈円頓美(えんとみ)町・川原(かわら)町・山王(さんのう)町・中町(なかまち)・西町(にしまち)・東町(ひがしまち)・東寺領(ひがしじりよう)町・蓮華蔵(れんげぞう)町〉・秋築(あきつき)町・石原(いしわら)町・下堤(しもつつみ)町・新生洲(しんいけす)町・新先斗(しんぽんと)町・杉本(すぎもと)町・大文字(だいもんじ)町・中川(なかがわ)町・難波(なんば)町・東竹屋(ひがしたけや)町・東丸太(ひがしまるた)町・吉永(よしなが)町東は岡崎村、西は鴨(かも)川、北は吉田村、南は二条川東(かわひがし)と接する。古くは白河と汎称される中に含まれたが、室町時代に集落を形成、聖護院村の名でよばれるようになった。「鈴鹿家記」応仁元年(一四六七)一二月三日条に、<資料は省略されています>と、聖護院村の語がみえ、以後「実隆公記」大永八年(一五二八)三月二九日条に「半夜(東方)有火聖護院在家云々」といったように、地名として定着していった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by