(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸後期の漢詩人,狂詩作者。名は徳規,字は景寛,通称は文吉。狂名(狂詩作者としての名)は安穴道人(あんけつどうじん)。京都の人。村瀬栲亭(こうてい)に学ぶ。文政・天保期(1818-44)の京都において,頼山陽と並ぶ詩名があった。風流好事をもって知られ,祇園の繁華を詠じた詩集《鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし)》はことに名高い。しかし棕隠の本領が発揮されたのは正規の漢詩よりも狂詩においてであって,京都の狂詩界では銅脈(どうみやく)以来の作者と称される。狂詩集《太平新曲》《天保佳話》などには,知識人としての屈折した自嘲と社会風刺が,滑稽な中にも才気鋭く詠まれている。ほかに《都繁昌記》《箱まくら》などの戯作もある。
執筆者:日野 竜夫
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江戸後期の漢詩人。名を規(き)、字(あざな)を景寛(けいかん)、号を棕隠・画餅居士(がへいこじ)、狂号を安穴道人(あんけつどうじん)、通称を文吉という。京都の儒者の家に生まれる。村瀬栲亭(こうてい)に学んだが、ゆえあって江戸に下り、10年ほどして帰京した。帰京後すぐに出版したのが、鴨(かも)川東岸の花街の風物を詠んだ竹枝体の詩集『鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし)』(1816)である。これによって広く名を知られるようになり、「富は弼(ひつ) 詩は山陽に 書は貫名(ぬきな) 猪飼(いがい)経書に 粋は文吉」ともてはやされたという。『金帚(きんそう)集』(1839)など多くの詩集があるほか、『太平新曲(たいへいしんきょく)』(1819)などの狂詩集もある。
[揖斐 高]
『『好事儒者中島棕隠』(『森銑三著作集2』所収・1971・中央公論社)』
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