股野玉川(読み)またの ぎょくせん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「股野玉川」の解説

股野玉川 またの-ぎょくせん

1730-1806 江戸時代中期-後期儒者
享保(きょうほう)15年2月19日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)竜野(たつの)藩士伊藤東涯の門で古学を,40歳をすぎて玉田黙翁に程朱学をまなぶ。江戸藩邸で世子脇坂安董(やすただ)の侍読をつとめた。文化3年7月2日死去。77歳。名は充美。字(あざな)は才介。別号に楽翁。姓は俣野ともかく。著作に「選詩類材」「藩士譜」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む