肥中街道
ひじゆうかいどう
中世、大内氏の居館地吉敷郡山口(現山口市)と、豊浦郡神田(現豊北町)の肥中浦を東西に結ぶ一四里ほどの街道。当時の肥中浦は明や朝鮮への重要な貿易港で、また筑前博多への船も多くこの浦から発向した。
山口より西へ吉敷垰(大垰)を越えて美祢郡に入り、長田・綾木(現美東町)、岩永(現秋芳町)、河原・大嶺・麦小野(現美祢市)の各村を経て豊浦郡に入り、西市・殿居(現豊田町)、田耕・滝部(現豊北町)と伝って肥中浦に至る(防長両国明細絵図)。この街道の要地に沿って大内氏の家臣が要害を築き、居館を構えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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