美祢郡(読み)みねぐん

日本歴史地名大系 「美祢郡」の解説

美祢郡
みねぐん

面積:二四四・六三平方キロ
美東みとう町・秋芳しゆうほう

県中央の内陸部にあり、北は大津おおつ郡・萩市、東は阿武あぶ旭村あさひそん、山口市、吉敷よしき小郡おごおり町、南は厚狭あさくすのき町、宇部市、西は長門市・美祢市にそれぞれ接する。中国山脈の大小の山々に囲まれ、美祢市にまたがる秋吉あきよし台を両断する厚東ことう川が諸川を合して南流し、宇部市を経て周防灘に注ぐ。集落は厚東川およびその支流域に点在し、この川沿いの狭小な開口部以外、他郡へは三方険阻な峠越に頼り、文字どおり峰の郡として別天地を形成してきた。

〔原始〕

先土器―古墳時代の遺跡は秋吉台やその周辺部に多く発見されている。先土器遺跡としては秋吉台上の北馬きたうまコロビふなくぼ秋芳町嘉万かま盆地にある弥山の観音ややまのかんのん洞の石灰岩洞穴から旧石器や哺乳類の化石がみつかっている。縄文遺跡は秋芳町に多く、秋吉台上のドリーネ(すりばち穴)間の分界面や別府べつぷ台の下嘉万しもかま山麓地帯に分布する。うち長者ちようじやもり付近で土器片、三角原さんかくばらから状耳飾が出土した。弥生遺跡には秋芳町の瀬戸せとさとまつさこだん厄神やくじん下嘉万中村しもかまなかむら遺跡などがあり、土器のほかに住居や箱式石棺が出土した。古墳時代のものは秋芳町の秋吉八幡宮の境内、里、岩永下郷の山露いわながしもごうのやまつゆなどに小規模な古墳が認められ、地方的な小首長がいたことが知られる。また美東町長登の大切ながのぼりのおおぎりで、鉱滓の中から須恵器や土師器の破片が、秋芳町別府の真木まきなどから鉄滓が発見された。

〔古代〕

和名抄」高山寺本に「美祢郡」、刊本は「美禰」と記し、「岑」と注する。高山寺本には美祢・諸鋤(訓は久之波)・位佐・作美・賀万の五郷、刊本には美禰・渚鋤(訓は須々木)・位佐・作美・賀萬・駅家の六郷が記される。うち作美郷は中世初頭阿武郡に編入され、郷域には多少の変動がみられた。「日本書紀」孝徳天皇白雉元年(六五〇)二月九日条にみえる麻山は、現美東町の絵堂えどう小野おの周辺にある高山とされ、穴戸国造首の同族贄氏とはおそらく当時の美祢郡長官であったと思われる。

古代長門国は豊前国・備中国とともに西日本有数の産銅地として知られていた。うち長門国の中心は美祢郡の赤郷と大田郷であったと考えられ、広大な石灰岩台地が分布し、接触交代鉱床が発達していて、古代の未熟な探鉱法でも容易に銅・銀・鉄などの露頭探査が可能であった。銅は赤金あかがねとよばれ、青銅器製造に欠かせぬ資源であり、のちには仏像や鋳銭料として、その採掘には採銅使を置いて国家的努力が傾注された。「注進案」の長登村(現美東町)の項に「往古奈良の都大仏を鋳せらるゝ時、大仏鋳立の地金として当地の銅弐百余駄貢がしめらる」とある伝承は、あながち根拠がないとはいえない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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