日本歴史地名大系 「美祢郡」の解説
美祢郡
みねぐん
〔原始〕
先土器―古墳時代の遺跡は秋吉台やその周辺部に多く発見されている。先土器遺跡としては秋吉台上の
〔古代〕
「和名抄」高山寺本に「美祢郡」、刊本は「美禰」と記し、「岑」と注する。高山寺本には美祢・諸鋤(訓は久之波)・位佐・作美・賀万の五郷、刊本には美禰・渚鋤(訓は須々木)・位佐・作美・賀萬・駅家の六郷が記される。うち作美郷は中世初頭阿武郡に編入され、郷域には多少の変動がみられた。「日本書紀」孝徳天皇白雉元年(六五〇)二月九日条にみえる麻山は、現美東町の
古代長門国は豊前国・備中国とともに西日本有数の産銅地として知られていた。うち長門国の中心は美祢郡の赤郷と大田郷であったと考えられ、広大な石灰岩台地が分布し、接触交代鉱床が発達していて、古代の未熟な探鉱法でも容易に銅・銀・鉄などの露頭探査が可能であった。銅は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報