育徳館跡(読み)いくとくかんあと

日本歴史地名大系 「育徳館跡」の解説

育徳館跡
いくとくかんあと

[現在地名]豊津町豊津

明治初年に設けられた豊津藩の藩校。後身である豊津高等学校の運動場が跡地で、豊津藩の藩庁跡(現在の豊津町役場付近)とは小規模な谷を挟んだ東側の台地上に所在する。慶応二年(一八六六)八月小倉城三の丸にあった藩校思永しえい館が同城とともに焼失。藩士子弟も田川郡を中心に分散し、一時藩校の教育は停止したが、翌年五月に田川郡香春かわら(現香春町)に思永館(本館)を、領内の寺院に支館を設けて再開した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む