育徳館跡(読み)いくとくかんあと

日本歴史地名大系 「育徳館跡」の解説

育徳館跡
いくとくかんあと

[現在地名]豊津町豊津

明治初年に設けられた豊津藩の藩校。後身である豊津高等学校の運動場が跡地で、豊津藩の藩庁跡(現在の豊津町役場付近)とは小規模な谷を挟んだ東側の台地上に所在する。慶応二年(一八六六)八月小倉城三の丸にあった藩校思永しえい館が同城とともに焼失。藩士子弟も田川郡を中心に分散し、一時藩校の教育は停止したが、翌年五月に田川郡香春かわら(現香春町)に思永館(本館)を、領内の寺院に支館を設けて再開した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む