杉山元
すぎやまはじめ
(1880―1945)
陸軍軍人。明治13年1月2日福岡県に生まれる。1900年(明治33)陸軍士官学校、1910年陸軍大学校卒業。満州事変開始時の陸軍次官、二・二六事件時の参謀次長さらに教育総監を経て、1937年(昭和12)2月林銑十郎(せんじゅうろう)内閣の陸軍大臣になり、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣に留任した。盧溝橋(ろこうきょう)事件後、中国の抗戦力を軽視して強硬論を主張し、日中戦争の全面戦争化を推し進めた。1940年10月から1944年2月にかけて参謀総長を務め、太平洋戦争の開始と遂行にあたった。この参謀総長時代の記録は「杉山メモ」として残されている。こののち小磯国昭(こいそくにあき)内閣でふたたび陸軍大臣になり、その後第一総軍の司令官として敗戦を迎え、昭和20年9月12日自決した。
[山辺昌彦]
『杉山元帥伝記刊行会編『杉山元帥伝』(1969・原書房)』
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杉山 元
スギヤマ ハジメ
- 肩書
- 陸相
- 生年月日
- 明治13年1月2日
- 出生地
- 福岡県
- 学歴
- 陸士(第12期)〔明治33年〕卒 陸大〔明治43年〕卒
- 経歴
- 日露戦争に出征。大正11年初代の陸軍省航空課長となり、陸軍航空育ての親となる。以後陸軍次官、航空本部長、参謀次長兼陸大校長などを経て昭和11年陸軍大将。12年第1次近衛内閣の陸相。15年10月参謀総長となって、太平洋戦争の指導にあたり、18年元帥。19年2月参謀総長を辞任、同年7月小磯内閣の陸相、20年4月本土決戦に備えて編成された第1総軍司令官に就任。同年9月12日夫人と共に自決した。第2次大戦に至る陸軍の戦争遂行の最高責任者であった。
- 没年月日
- 昭和20年9月12日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
杉山 元
スギヤマ ハジメ
昭和期の陸軍元帥 陸相。
- 生年
- 明治13(1880)年1月2日
- 没年
- 昭和20(1945)年9月12日
- 出生地
- 福岡県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第12期)〔明治33年〕卒,陸大〔明治43年〕卒
- 経歴
- 日露戦争に出征。大正11年初代の陸軍省航空課長となり、陸軍航空育ての親となる。以後陸軍次官、航空本部長、参謀次長兼陸大校長などを経て昭和11年陸軍大将。12年第1次近衛内閣の陸相。15年10月参謀総長となって、太平洋戦争の指導にあたり、18年元帥。19年2月参謀総長を辞任、同年7月小磯内閣の陸相、20年4月本土決戦に備えて編成された第1総軍司令官に就任。同年9月12日夫人と共に自決した。第2次大戦に至る陸軍の戦争遂行の最高責任者であった。
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杉山元【すぎやまはじめ】
元帥,陸軍大将。福岡県の生れ。陸大卒。満州事変勃発(ぼっぱつ)の際陸軍次官,のち参謀次長,教育総監を歴任。1937年陸軍大臣となり日中戦争では短期終結の見通しを立て,拡大論を唱えた。1940年参謀総長に就任。太平洋戦争初期の陸軍の総指揮にあたり,1944年陸軍大臣,1945年第一総軍司令官を勤めた。敗戦に際し夫妻で自殺。参謀総長時代の関係記録(杉山メモ)は貴重な資料。
→関連項目三月事件
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杉山元 (すぎやまはじめ)
生没年:1880-1945(明治13-昭和20)
大正・昭和期の陸軍軍人(元帥)。福岡県出身。陸軍士官学校(12期),陸軍大学校卒。陸軍省航空課長などをへて1928年に陸軍省軍務局長に,続いて陸軍次官に就任して宇垣一成陸相を支えた。37年林銑十郎内閣の陸相に就任し日中戦争勃発に際しては拡大論を唱えた。40年参謀総長となり太平洋戦争開戦後は44年まで同職にあって全般の作戦指導にあたった。敗戦直後,自殺。
執筆者:吉田 裕
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杉山元
すぎやまげん
[生]1880.1.2. 小倉
[没]1945.9.12. 東京
陸軍軍人。 1900年陸軍士官学校,10年陸軍大学校卒業。 28年軍務局長。 30~32年陸軍次官。航空本部長,参謀次長などを歴任して 36年に教育総監,大将に昇進。 37~38年陸相。北支那方面軍司令官,軍事参議官などを経て,40~44年参謀総長として太平洋戦争を指導。 43年元帥。 44年教育総監となったが,小磯国昭内閣が成立すると陸相に就任。 45年第1総軍司令官。敗戦後に自殺した。
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杉山元 すぎやま-はじめ
1880-1945 明治-昭和時代前期の軍人。
明治13年1月2日生まれ。昭和11年陸軍教育総監,大将。翌年陸相となり,日中戦争を遂行した。15年参謀総長,18年元帥。20年本土決戦にそなえた第一総軍司令官となるが終戦。昭和20年9月12日自決。66歳。参謀総長時代の記録「杉山メモ」をのこす。福岡県出身。陸軍大学校卒。
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杉山 元 (すぎやま はじめ)
生年月日:1880年1月2日
昭和時代の陸軍軍人
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の杉山元の言及
【三月事件】より
…前年10月[桜会]を結成した参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らは,31年2月第59議会が幣原喜重郎首相代理の失言問題で大混乱に陥ったのをみて,クーデタを遂行し宇垣一成陸相を首班とする内閣を樹立しようとはかった。建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。…
※「杉山元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」