日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊津」の意味・わかりやすい解説
豊津
とよつ
福岡県北東部、京都郡(みやこ)にあった旧町名(豊津町(まち))。現在はみやこ町の北東部を占める。旧豊津町は1955年(昭和30)豊津村と祓郷(はらいごう)村の一部が合併して町制施行。2006年(平成18)勝山(かつやま)町、犀川(さいがわ)町と合併しみやこ町となった。旧豊津町域は洪積台地が広く分布し、祓川沿いに沖積低地が展開、平成筑豊鉄道田川(たがわ)線が西端を通過、中央部を国道496号が縦断する。また、東部には椎田(しいだ)道路が通じる。古くは豊前(ぶぜん)国の中心である国府の所在地であったといわれ、1871年(明治4)7月廃藩置県当初は豊津県庁(同年11月小倉県(こくらけん))が置かれた。主産業は農業で、稲作をはじめ、ブドウ、ウメ、イチゴ栽培、畜産が盛んであるが、北九州市方面への通勤者も多い。見どころとして八景山自然公園、小笠原(おがさわら)神社、国分(こくぶん)寺、小倉藩小笠原氏時代の武家屋敷などがあるが、国分寺一帯は豊前国分寺跡として国指定史跡、明治になって建立された三重塔がある。
[石黒正紀]
『『豊津町史』全2冊(1998・豊津町)』