日本歴史地名大系 「能登川湊」の解説
能登川湊
のとがわみなと
琵琶湖舟運の湊の一つで、湖東地方の年貢米輸送や湖西との物資輸送に利用された。守護代伊庭氏の本拠に近いことから、中世以来伊庭庄の外港として機能していた可能性がある。ただ湊の整備は能登川村が文禄三年(一五九四)徳永寿昌による屋敷割で成立したとされることから、これに伴って行われたと考えられる。付近一帯に寿昌の事績が伝えられ、湊・道路・水路・屋敷割が直線的で計画性に富むこともその証左といえよう。朝鮮人道見取絵図には街道沿いに並んだ集落が伊庭内湖岸まで続き、「能登川浜」と記される。内湖からの船入堀のような水路に面して愛宕社が描かれる。「木間攫」に「下街道筋ニテ、船入モ有之、其繁盛ノ勝地ナリ」と能登川村の項に記されるが、後掲の船数帳などに船数とともに伊庭とみえ、当時伊庭湊とも称されていたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報