日本歴史地名大系 「能登興屋村」の解説 能登興屋村のとこうやむら 山形県:酒田市旧遊佐郷・飛島地区能登興屋村[現在地名]酒田市高砂(たかさご)一―四丁目・北浜町(きたはまちよう)・松美町(まつみちよう)・浜松町(はままつちよう)小湊(こみなと)村の南にあり、西は日本海に面する。日向(につこう)川新川開削前は日向川下流小湊川の河口左岸に位置した。浜(はま)街道が通る。能登興野村とも記した。正保庄内絵図(本間美術館蔵)に能登興ヤとあり村高の記載はない。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に能登山興野村とみえ役塩二俵一斗。延享三年(一七四六)の巡見使御用覚帳(杉山文書)によると無高、家数二三・人数一五〇。海猟船五艘、諸役金一両二分二朱・銭二貫五四〇文、うち鰯網役金二分・銭一貫文、手繰網役金一分・銀五匁、指網役銀一五匁・鮭運上金二分、高綱網役銭一貫五〇〇文、川居繰役金二朱。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by