能登部村(読み)のとべむら

日本歴史地名大系 「能登部村」の解説

能登部村
のとべむら

能登部下・徳丸とくまる・能登部上に比定される。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「能登部村」とみえ、公田数一〇町三段(もとは二二町七段九)とある。大永六年(一五二六)一〇月書写の気多社年貢米銭納帳(気多神社文書)によれば、村内で社領免田の分布が確認され、能登部の専願せんがん寺や守護被官の井上氏が作職所有者として年貢銭を負担していた。また天文一七年(一五四八)には上・下両村に分立しており、気多社免田の年貢は両村等分負担で、地下への下行分四斗を差引き、合せて四五俵二斗を毎年一〇月二二日をもって進納すべく定められていた(同年二月二〇日「気多社免田年貢支配状」気多大宮司家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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