江尻(読み)えじり

百科事典マイペディアの解説

江尻【えじり】

駿河国庵原(いはら)郡の地名。中世には江尻宿・江尻津とみえ,近世には江尻宿として東海道宿駅であった。現在の静岡県静岡市(旧清水市)の中心部にあたる。《吾妻鏡》文治3年(1187年)7月18日条によると,江尻に渡船があったことが知られる。1223年には《海道(かいどう)記》の筆者が江尻の浦に至っており,当時小規模ながら宿駅の機能をもっていたと推測される。1376年駿河国内にある鎌倉円覚(えんがく)寺荘園年貢が江尻から積み出されており,今川氏の支配下にあってしだいに水陸の交通の要衝としての地位を高めていった。武田氏が駿河に侵入したのち,巴(ともえ)川を外堀に利用した江尻城が築かれ,武田一族の穴山信君(のぶきみ)(梅雪(ばいせつ))がこの地を城下町として整備した。1601年東海道の宿駅に指定されたが,江尻津がもっていた湊としての機能は巴川河口付近に建設された清水湊に移された。江戸時代の江尻宿には複数の町が存在し,各町に町頭(まちがしら)が置かれて町政にあたった。《東海道宿村大概帳》によれば,宿内町並みは東西13町余,人口は隣接する加宿(かしゅく)6村を含め6498人,家数は1340軒で,本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠(はたご)屋40軒があった。江戸中期には江尻木綿の産地となっている。1924年1月に入江町,同年2月に清水市に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

えじり【江尻】

駿河国(静岡県)の宿場町。南北朝時代にはすでに伊勢方面との海上交通に従事する者が存在,1376年(天授2∥永和2)の今川範国の書状によれば,江尻より駿河国内にある鎌倉円覚寺の荘園の年貢が送り出され,江尻は年貢その他物資の集散地であった。1532年(天文1)今川氏輝は江尻に商人宿および諸役を免除し,三度市を認めた。ついで今川義元・氏真は廻船の諸役を免除,江尻を宿場町・湊町として保護した。武田氏の駿河侵入後,巴川の蛇行を利用して外堀とした江尻城が築かれ,城下町が整えられ城主穴山信君(梅雪)は江尻を起点興津蒲原を経て甲州に通じる伝馬制を実施,南甲州から駿河の領国経営の中心とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江尻
えじり

静岡市清水区(しみずく)南部の地区。もとは静岡県清水市の中心地区の一つ。巴川(ともえがわ)下流域に位置し、大半が旧浜堤(ひんてい)の地形をなし、緩やかに南に下る。中世、港町(江尻湊(みなと))、宿場町(江尻宿)として発展。戦国大名今川氏支配下に駿府(すんぷ)の外港町。その後武田信玄(しんげん)は江尻城を築造、城下町を形成。近世には東海道の宿場町として発展した。

[川崎文昭]

『『清水市郷土研究第三輯 江尻』(1938・清水市)』


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精選版 日本国語大辞典の解説

えじり【江尻】

静岡市清水区の地名。江戸時代、東海道の宿場町として繁栄。武田信玄築城の江尻城があった。

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