古代における巴川の下流域と河口部は現在と大きく異なり、入江が内陸奥深く入り込む地形で、北の
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駿河国(静岡県)の宿場町。南北朝時代にはすでに伊勢方面との海上交通に従事する者が存在,1376年(天授2・永和2)の今川範国の書状によれば,江尻より駿河国内にある鎌倉円覚寺の荘園の年貢が送り出され,江尻は年貢その他物資の集散地であった。1532年(天文1)今川氏輝は江尻に商人宿および諸役を免除し,三度市を認めた。ついで今川義元・氏真は廻船の諸役を免除,江尻を宿場町・湊町として保護した。武田氏の駿河侵入後,巴川の蛇行を利用して外堀とした江尻城が築かれ,城下町が整えられ城主穴山信君(梅雪)は江尻を起点に興津・蒲原を経て甲州に通じる伝馬制を実施,南甲州から駿河の領国経営の中心とした。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定され,それまで江尻が持っていた湊の機能は巴川河口の南下,駿府城下町の形成と同時に行われた新しい清水湊の建設によって失われ,江尻は以後宿場町となった。江尻宿は志茂・仲・魚町の3町を中心とし,本陣・脇本陣・旅籠屋が集中,問屋場は魚町にあった。中心部から東へ伝馬町・鍛冶町・鋳物師町・本郷町・辻町が町並みを形成,西に入江町が続いた。各町に町頭がおかれ町政にあたった。《東海道宿村大概帳》によれば町並み13町余,人口は隣接の加宿6村をふくめて6498,家数1340,本陣2,脇本陣3,旅籠屋40である。江戸時代中期から周辺農村の和紙をはじめ諸物資の集散地,江尻木綿の産地となった。1924年入江町,同年清水市制施行により清水市に,2003年に静岡市となった。
執筆者:川崎 文昭
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静岡市清水区(しみずく)南部の地区。もとは静岡県清水市の中心地区の一つ。巴川(ともえがわ)下流域に位置し、大半が旧浜堤(ひんてい)の地形をなし、緩やかに南に下る。中世、港町(江尻湊(みなと))、宿場町(江尻宿)として発展。戦国大名今川氏支配下に駿府(すんぷ)の外港町。その後武田信玄(しんげん)は江尻城を築造、城下町を形成。近世には東海道の宿場町として発展した。
[川崎文昭]
『『清水市郷土研究第三輯 江尻』(1938・清水市)』
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