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丹羽長重 にわ ながしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

丹羽長重 にわ-ながしげ

1571-1637 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
元亀(げんき)2年生まれ。丹羽長秀の長男。豊臣秀吉につかえ,天正(てんしょう)13年父の遺領をつぐ。関ケ原の戦いで西軍に味方したため,戦後所領を没収される。のちゆるされて常陸(ひたち)(茨城県)古渡(ふつと)に1万石をあたえられ,大坂の陣に出陣。陸奥(むつ)棚倉藩(福島県)をへて寛永4年陸奥白河藩(福島県)藩主丹羽家初代となる。10万700石。寛永14年閏(うるう)3月6日死去。67歳。通称は五郎左衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

丹羽長重

没年:寛永14.閏3.6(1637.4.30)
生年:元亀2(1571)
安土桃山・江戸初期の武将。長秀の子。母は織田信長の養女(姪)。幼名鍋。通称五郎左衛門。天正13(1585)年,父の遺領越前国(福井県)の大部分と加賀国(石川県)能美郡を継いだが,家臣の軍律違反により同年,同15年と羽柴(豊臣)秀吉から相次いで所領を没収され,若狭,次いで加賀国松任4万石に減封された。しかし,その後小田原攻めや朝鮮出兵などに参加した結果,慶長3(1598)年,加賀国石川・能美両郡に8万5000石余を加増されて小松城(小松市)に移り,従三位,参議に上った。同5年の関ケ原の戦では前田利長と加賀で戦っていて参陣しなかったため所領を没収され江戸品川に蟄居したが,同8年,かねてから懇意だった徳川秀忠の斡旋で,常陸国古渡(茨城県桜川村)に1万石を与えられた。その後元和5(1619)年1万石,同8年に3万石を加増されて陸奥国棚倉(福島県棚倉町)に移り,寛永4(1627)年には陸奥国白川・石川・田村・岩瀬4郡に10万石余を得て白河城(白河市)城主となった。

(河村昭一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

にわながしげ【丹羽長重】

1571‐1637(元亀2‐寛永14)
織豊期~江戸初期の武将。1585年(天正13)父長秀の遺領を継ぐ。家臣の軍律違反で豊臣秀吉に所領を削られ,加賀松任4万石に縮小した。のち小松に転ずる。1600年(慶長5)前田利長と争って関ヶ原に参陣せず,所領を没収されて品川に蟄居した。しかし徳川秀忠の引立てで常陸古渡(ふつと)に1万石を得た。以後転封ごとに加増され,27年(寛永4)陸奥白河に10万石余を得た。将軍秀忠,家光の〈御談伴〉を務めた。【西田 真樹】

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世界大百科事典内の丹羽長重の言及

【白河[市]】より

…源頼朝の奥州征伐後,結城氏が領し,1289年(正応2)搦目城を築いて白川氏をとなえた。 1627年(寛永4)丹羽長重が10万0700石で入部し,白河小峰城の大改修を行い近世城郭の偉容を整え,城の南側に大手門を設け,これとともに家中屋敷,町人町を設定するなど城下町の町割りを行った。奥州道中の宿駅であり,奥羽諸大名の参勤交代の要路であったことから,白坂宿から城下に入ると,天神町,中町,本町,横町,田町と並び,これを通り五町と呼んだ。…

【白河藩】より

…陸奥国(福島県)白河郡白河に藩庁を構えた藩。1627年(寛永4)丹羽長重が10万石で入部,白河城の大改修と城下町の整備をおこない,近世城下町として面目を一新した。43年松平(榊原)忠次が14万石で就封し,以後幕末まで奥州道中の重要拠点として,49年(慶安2)本多,81年(天和1)松平(奥平),92年(元禄5)松平(結城),1741年(寛保1)松平(久松),1823年(文政6)阿部氏と領主が交替,石高は10万石から15万石で譜代名門大名が配置された。…

【棚倉[町]】より

…町域の大部分が山林で,久慈川と阿武隈川の支流社川の流域にわずかに平地が広がる。中心集落の棚倉は久慈川の段丘上にあり,1622年(元和8)丹羽長重が棚倉城を築いて以降,城下町として栄えた。現在も郡の中心地で,JR水郡線,国道118号線が郡山と水戸を結んでいる。…

【棚倉藩】より

…1603年(慶長8)立花宗茂が2万5000石で入封し藩をおこした。22年(元和8)丹羽長重が入封し,赤舘に代わって棚倉城を築城したが建設途上で転封され,27年(寛永4)磐城平藩主内藤氏の一族内藤信照が5万石で入封して,本格的な藩体制確立の諸政策を打ち出した。しかし1705年(宝永2)弌信(かずのぶ)が駿河田中へ移封された後は,幕末まで太田氏,松平氏,小笠原氏,井上氏,松平氏,阿部氏と,しばしば藩主が交替した。…

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