朝日日本歴史人物事典 「丹羽長重」の解説
丹羽長重
生年:元亀2(1571)
安土桃山・江戸初期の武将。長秀の子。母は織田信長の養女(姪)。幼名鍋。通称五郎左衛門。天正13(1585)年,父の遺領越前国(福井県)の大部分と加賀国(石川県)能美郡を継いだが,家臣の軍律違反により同年,同15年と羽柴(豊臣)秀吉から相次いで所領を没収され,若狭,次いで加賀国松任4万石に減封された。しかし,その後小田原攻めや朝鮮出兵などに参加した結果,慶長3(1598)年,加賀国石川・能美両郡に8万5000石余を加増されて小松城(小松市)に移り,従三位,参議に上った。同5年の関ケ原の戦では前田利長と加賀で戦っていて参陣しなかったため所領を没収され江戸品川に蟄居したが,同8年,かねてから懇意だった徳川秀忠の斡旋で,常陸国古渡(茨城県桜川村)に1万石を与えられた。その後元和5(1619)年1万石,同8年に3万石を加増されて陸奥国棚倉(福島県棚倉町)に移り,寛永4(1627)年には陸奥国白川・石川・田村・岩瀬4郡に10万石余を得て白河城(白河市)城主となった。
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報