脚折村(読み)すねおりむら

日本歴史地名大系 「脚折村」の解説

脚折村
すねおりむら

[現在地名]鶴ヶ島市脚折一―六丁目・脚折・共栄町(きようえいちよう)

高倉(たかくら)村の北にあり、東は入間(いるま)郡関間(せきま)新田・片柳(かたやなぎ)新田(現坂戸市)、北は同郡浅羽(あさば)村・浅羽新田(現同上)。飯盛(いいもり)川が北東へ流れる。ほぼ南北に日光脇往還が通り、南方でほぼ東西に走る川越越生(かわごえおごせ)道と交差する。村名は臑折とも記される。小田原衆所領役帳には小田原衆六郷殿の所領として河越筋の「折」二〇貫文がみえ、弘治元年(一五五五)に検地が行われていた。近世には高麗(こま)郡加治(かじ)領に属した(風土記稿)。寛永五年(一六二八)の名寄帳(田中家文書)によると田九町二反余・畑一八町二反余・屋敷一町余、名請人は寺院一を含めて四七名。慶安元年(一六四八)の川越藩による検地で田一九町八反余・畑六一町三反余・屋敷二町五反余となり、名請人六三名、うち屋敷持四四名(「検地帳」同文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む