腹赤村(読み)はらかむら

日本歴史地名大系 「腹赤村」の解説

腹赤村
はらかむら

[現在地名]長洲町腹赤はらあか

行末ゆくすえ川下流右岸の台地末端部に立地し、北は宮崎みやざき村、西は清源寺せいげんじ村、東は折地おりち村、南は上沖洲かみおきのす村に接する。腹赤の地名は、古代、朝廷元旦節会に当地から腹赤という魚を贄として貢進していたことに由来するという。「肥後国風土記」逸文に、景行天皇が長渚ながす浜に泊したおり、釣って得た魚に爾陪魚にべうおと命名したとあり、奈良時代以降毎年、大宰府が腹赤魚を朝廷に貢上(「文徳実録」斉衡元年一月一日条)、また筑後・肥後両国から貢進している(「延喜式」内膳司)

慶長九年(一六〇四)九月の原賀村検地帳によると田一八町六反四畝余・畠屋敷二八町、分米三八四石四斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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