興津城跡(読み)おきつじようあと

日本歴史地名大系 「興津城跡」の解説

興津城跡
おきつじようあと

[現在地名]勝浦市興津

興津(奥津)浦から内陸に入った字要害ようがいにある中世の城跡。標高一〇〇―一三〇メートルの丘陵端部に立地する。真里谷武田氏の拠点であったが、のち正木氏が拠った。正嘉二年(一二五八)に佐久間重吉・同重貞が築城したと伝える。興津の妙覚みようかく寺は重貞が檀越となって創建したとされる。正木家譜によれば天文一〇年(一五四一)頃、正木時忠が天津あまつ(現天津小湊町)の武田朝信を攻めた際、興津・勝浦の城には朝信の残党がなお立籠って抵抗を続けたとあり、武田氏の拠点の一つであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む