興津城跡
おきつじようあと
興津(奥津)浦から内陸に入った字要害にある中世の城跡。標高一〇〇―一三〇メートルの丘陵端部に立地する。真里谷武田氏の拠点であったが、のち正木氏が拠った。正嘉二年(一二五八)に佐久間重吉・同重貞が築城したと伝える。興津の妙覚寺は重貞が檀越となって創建したとされる。正木家譜によれば天文一〇年(一五四一)頃、正木時忠が天津城(現天津小湊町)の武田朝信を攻めた際、興津・勝浦の城には朝信の残党がなお立籠って抵抗を続けたとあり、武田氏の拠点の一つであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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