日本の城がわかる事典 「勝浦城」の解説 かつうらじょう【勝浦城】 千葉県勝浦市にあった海城(うみじろ)。勝浦湾東南端の断崖、八幡岬の突端に築かれていた城である。里見氏の水軍を担った勝浦正木氏の居城。城跡は現在、八幡岬公園になっているが、岬の先端に一ノ郭、遊具などが置かれている公園に二ノ郭、八幡神社付近に三ノ郭があった。もともとは大多喜城(夷隅郡大多喜町)の真里谷武田朝信の属城だったともいわれるが築城時期は不明である。1542年(天文11)、里見氏家臣の正木時忠が勝浦城を攻略し、1544年(天文13)には兄の正木時茂が真里谷武田氏の本城の大多喜城を攻略して、それぞれ居城とし、正木氏は以後、時茂を祖とする大多喜正木氏と、弟の時忠を祖とする勝浦正木氏に分かれた。両氏とも安房の里見氏に臣従したが、1564年(永禄7)の第二次国府台合戦で、主家の里見氏が北条氏に大敗すると、勝浦城の正木時忠は里見氏を離反し北条氏に通じたが、時忠の死後、頼忠が家督を継ぐと里見氏に帰参した。1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)では里見氏に属して北条氏と敵対したが、この戦いの後、秀吉により惣無事令違反を理由に上総の里見領が没収されると、勝浦城は廃城となった。のちに、この地を領国とした植村泰忠が別の場所(同市串浜)に陣屋(串浜陣屋・植村氏陣屋)を構えている。現在、勝浦城跡は八幡岬公園となっており、八幡岬の突端まで遊歩道が整備されているが、遊歩道沿いからは同城の遺構を見ることはできない。JR外房線勝浦駅から徒歩約20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報