勝浦市(読み)カツウラシ

デジタル大辞泉 「勝浦市」の意味・読み・例文・類語

かつうら‐し【勝浦市】

勝浦

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「勝浦市」の解説

勝浦市
かつうらし

面積:九四・二〇平方キロ(境界未定)

房総半島の南東部に位置し、北東から北にかけては夷隅いすみ御宿おんじゆく町・大原おおはら町・夷隅町、北より北西にかけては同郡大多喜おおたき町、南西部は安房郡天津小湊あまつこみなと町と接し、南東部は太平洋に臨む。房総丘陵水源とする夷隅川が支流を集めて北流する。海岸部をJR外房線および国道一二八号が通り、勝浦地区で大多喜町・市原市方面と結ぶ国道二九七号が分岐する。墨名とな地区からは勝浦有料道路により部原へばら地区に通じている。市域の海岸部は砂浜地帯、海食崖、または岩礁地帯と変化に富み、一帯は南房総国定公園に含まれる。

〔原始―中世〕

松部まつべ地区の上長者台かみちようじやだい遺跡は縄文時代早期・前期・中期にわたり、滑石製装身具を生産していた。律令制以前は伊甚国造の支配領域であったと想定され、律令制下では上総国夷隅郡に属し、同郡白羽しらは(和名抄)などを当市域に比定する説がある。ただし南西部の興津おきつは安房国長狭ながさ置津おきつ(同書)の遺称地と考えられている。夷隅郡は平安時代末に内陸の西部が伊北いほう庄、その東より海岸部が伊南いなん庄となったとされ、市域では伊北庄上野うえの郷の名が史料にみえる。日蓮ゆかりの誕生たんじよう(現天津小湊町)が近く、その檀越とされる興津の佐久間重貞らを通じていくつかの日蓮宗寺院が建立され、また中世末期日蓮宗池上派の折伏により密教系寺院が改宗されたといわれる。海に臨む興津には興津城、浜勝浦の八幡はまかつうらのはちまん岬の要害には勝浦城が築かれているが、両城は一六世紀初めには真里谷武田氏の拠点であったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝浦市」の意味・わかりやすい解説

勝浦〔市〕
かつうら

千葉県南東部,太平洋に面する市。1937年勝浦町(1890町制)と豊浜村が合体ののち,1955年興津町と総野村,上野村の 2村と合体し,1958年市制。江戸時代,中心市街地の勝浦は,植村土佐守の所領(八幡岬に勝浦城址がある)で,商業,漁業の中心地であり,西方の興津には仙台藩取締所があって,東北諸藩の廻船が出入りした。県下有数の漁港で,港の設備をはじめ,給油・冷凍施設が整い,船の出入りも多い。リアス海岸で小入江が多く,勝浦のほかにも小漁港がある。魚市場があり,水産加工も盛ん。海女によるアワビ,サザエの採取も行なわれる。夷隅川流域を中心に,米作や果実・野菜栽培,酪農畜産も行なわれ,林業も盛ん。名物の朝市があり地方商業の中心地。海岸は避寒地,海水浴場として有名。付近に鵜原理想郷,勝浦海域公園地区,おせんころがし断層崖),守谷洞穴などの景勝・観光地があり,南房総国定公園に属する。海岸部を JR外房線,国道128号線が走り,国道297号線で千葉市と結ばれる。面積 93.96km2(境界未定)。人口 1万6927(2020)。

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