朝日日本歴史人物事典 「船田一琴」の解説
船田一琴
生年:文化9(1812)
江戸末期の装剣金工家。金工家船田寛常の子。羽前国庄内(山形県)五日町生まれ。はじめ勇太郎,のちに庄助,義長という。幼くして父と死別し,8歳のころ熊谷派の金工家義信が母と結婚し養父となり,そのもとで彫技の基礎を学んだ。文政9(1826)年15歳のとき江戸に出て義信の師である熊谷義之の門下に入り,義長を名乗った。その後,京都の後藤一乗の門下に移り,天保5(1834)年24歳で,師の一の字を許されて一琴を名乗り,江戸に戻って仕事をはじめた。作風は四神図,竜,花卉など一乗風のものが多かったが,次第にそれを脱し,独自の境地を作りあげた。「富士図鐔」(個人蔵)などにみる甲鋤彫りと呼ぶすくい鏨の技法は彼の特技である。郷里の庄内藩酒井家の抱え工をも勤め,船田家を再興して江戸と庄内を行き来しながら,多くの門弟の養成にも努めた。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報