朝日日本歴史人物事典 「後藤一乗」の解説
後藤一乗
生年:寛政3.3.3(1791.4.5)
幕末・明治初期の装剣金工家。後藤家の分家,後藤七郎右衛門家4代目重乗の次男。京都生まれ。幼名を栄次郎といい,寛政11(1799)年9歳のときに八郎兵衛謙乗の養子となった。11歳より半左衛門亀乗に師事し,15歳で八郎兵衛家6代目の家督を相続して八郎兵衛光貨と名乗った。文化8(1811)年21歳のとき光行と改名,さらに文政3(1820)年30歳のときに光代と改名している。このころ江戸の宗家四郎兵衛家の加役である大判の墨書書き改めや分銅の製作などの京都における業務を分担した。7年34歳で法橋に叙せられ,これ以降一乗光代を名乗った。文久2(1862)年には孝明天皇の御剣金具を制作し,その功により翌年法眼の位を与えられた。この間,61歳のときには幕府に召されて江戸に赴き,芝新銀座に住し1000人扶持を支給されている。後藤家の家彫りの伝統をよく継承し,作品は刀装具全般にわたっている。光行,光代を名乗っていた初期には竜や獅子を題材にした三所物を主に制作したが,やがて松本謙斎に絵を習うなどして花鳥や風景を題材にした写生風な作風へと転じた。また,後藤家では禁じられていた鉄地のものも制作し,伯応,凸凹山人,一意などの別号を記したものもある。後藤家代々の墓所,京都紫野の知足山常徳寺に葬られた。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報