後藤一乗(読み)ごとういちじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤一乗」の意味・わかりやすい解説

後藤一乗
ごとういちじょう

[生]寛政3(1791).3.3. 京都
[没]1876.10.17. 京都
江戸時代末期の後藤派の装剣金工。京後藤家の別派重乗の子。幼名栄次郎。成人後の通称八郎兵衛。号は光行,一意,伯応など。のち法橋,法眼に叙せられた。小柄 (こづか) , (こうがい) などの小道具のほか鐔 (つば) も作った。後藤家の規範を破って町彫 (まちぼり) の手法を取入れ,斬新な意匠と写実的な表現法で加納夏雄とともに幕末金工の代表者。作品中にはやまと絵菊池容斎下絵を求めたものもある。

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関連語 ヤマ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤一乗」の意味・わかりやすい解説

後藤一乗
ごとういちじょう
(1791―1876)

江戸末期の金工。通称八郎兵衛。幼名栄次郎、京後藤の別派重乗の子。若くして宗家の代行を務め、装剣金工後藤家の最後を飾る。家風にとらわれず獅子(しし)や竜以外にも広く題材を求め、写生を取り入れ、素材も鉄を用いることに踏み切った。光貨から光行、光代と銘を改め、1824年(文政7)34歳で剃髪(ていはつ)して一乗と称した。鉄を使用した作品(主として鐔(つば))には伯応や凸凹山人と銘をきる。阿弥陀来迎(あみだらいごう)図の揃物(そろいもの)や石橋(しゃっきょう)図鐔、吉野龍田(よしのたつた)図大小揃金具は有名。51年(嘉永4)江戸に移り、明治維新後、京都へ帰り同地で没した。

[小笠原信夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤一乗」の解説

後藤一乗 ごとう-いちじょう

1791-1876 江戸時代後期の装剣金工。
寛政3年3月3日生まれ。後藤八郎兵衛家5代謙乗の養子となり,6代をつぐ。はじめは家風にしたがった作品をつくったが,のち俳画的な作品や鉄地をもちいた作品などを製作。法眼(ほうげん)。明治9年10月17日死去。86歳。京都出身。名は光貨,光行,光代。通称は八郎兵衛。

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367日誕生日大事典 「後藤一乗」の解説

後藤一乗 (ごとういちじょう)

生年月日:1791年3月3日
江戸時代末期;明治時代の装剣金工家
1876年没

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世界大百科事典(旧版)内の後藤一乗の言及

【後藤祐乗】より

…室町時代の金工。78歳で没とする説もある。通称を四郎兵衛,名を正奥といい,のち剃髪して祐乗と号した。美濃国の出といわれ,足利義政に仕える武士であったが,辞して装剣専門の金工となった。作品は小柄(こづか),笄(こうがい),目貫(めぬき)のいわゆる三所物(みところもの)が主であり(刀装),作風に美濃彫の影響が強く見られる。題材は獅子と竜が最も多く,ほかに虎,濡烏(ぬれがらす),三番叟,能道具などがあり,赤銅,金などの地金を主とし,すべて高肉彫で表している。…

※「後藤一乗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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